会稽東治 ⇒ 東冶 三国志の各版本には、倭の位置を「その道里を計るに、当まさに会稽東治の東に在るべし」となっていますが、後漢書では「会稽東冶の東」と改定されています。その後の隋書、梁書は「会稽の東」、晋書は「会稽東冶の東」となっていて、三国志…
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