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源流なび Sorafull

出雲王国

訂正のお知らせと新情報

先日、読者のP様よりご質問を頂き、調べていくうちに過去記事を訂正しなければならないと気づきましたので、取り急ぎお知らせ致します。 以下の記事の中で、曙立王を物部朝倉彦と書いておりますが、出雲伝承において同一人物ではないことがわかりましたので…

西宮えびす(西宮神社)⑶沖のえびすと三郎殿。えびす信仰について

沖ノ戎 おきのえびす 明治5年に現荒戎町より西宮神社境内に移された沖恵美酒神社です。南のえびす門を入って左手になります。 恵美酒エビスに「酒」の字が使われていますが、西宮は灘の酒の産地です。また事代主は三輪山でも酒の神として祀られています。な…

西宮えびす(西宮神社)⑵大国主西神社と百太夫神社

東側の表大門。通称、赤門。十日えびすの福男選びはこの扉が開いたらスタートです。境内図の右下にありますね。前回載せたえびす宮の門は中央手前の南門になります。赤門のほうが立派ですが、実は海に面した南門のほうが表だったそうですよ。 推定室町初期以…

西宮えびす(西宮神社)⑴ヒルコの神と西てふ神

前回の投稿から長らくのお休みを頂きました。 春よりライフスタイルの変化がありまして、まとまった時間を持てなくなっておりましたが、また少しずつ発信していこうと思っております。今後は不定期の投稿となりますが、よろしくお願い致します! なおコメン…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑶

消された出雲王国 天武天皇の帝紀の編集に関わった忌部子人は、その経験から古事記の最初の部分を担当したようです。物部の時代から宮廷祭祀を担ってきた忌部氏は、日本の神々や神社に詳しく適任でした。もとは徐福の第2次渡来時にやってきた氏族なので、道…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑵

斎木雲州著「古事記の編集室」「万葉歌の天才」を主に参照しますが、物語風に記されているところも多く、それが研究による推測であることも考慮し、そういった箇所は断定せずに紹介していきたいと思います。 天武天皇による帝紀の編集 天武10年(683年)に帝…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑴

通説では中大兄皇子(天智天皇)の時代、乙巳の変において蘇我入鹿が自宅に火を放ち自害した際に書庫も炎上し、天皇記などの歴史書が焼け、残った国記だけが天皇に献上されたといわれます。その後の壬申の乱によって天武天皇が即位し(673~686年)失われた…

【告発書】かぐや姫の物語に託されたもの⑵

5人の貴族とそのモデル 石作イシヅクリの皇子⇒石作氏は丹比氏と同族⇒丹比真人島 庫持クラモチの皇子⇒車持与志古娘の息子がのちの右大臣・藤原不比等 左大臣・安倍御主人ミヌシ⇒大納言・安倍御主人 大納言・大伴御行ミユキ⇒大納言・大伴御行 中納言・石上麻…

【告発書】かぐや姫の物語に託されたもの⑴

個人的な話になりますが、少々お付き合いください。 私Sorafullは幼い頃より父から「藤原不比等フヒト」の名を繰り返し聞かされてきました。この人が日本の古代史における黒幕であり、史実を歪めてしまった、そして柿本人麿カキノモトヒトマロはそのすべてを…

平群王朝から蘇我王朝へ

記紀ではこの系図のように、ホムタ大王(応神)の御子がオオサザキ大王(仁徳)ということになっていますが、出雲伝承はそこに血の繋がりはないといいます。 物部王朝が終わって次に現れたのが平群へぐり王朝です。 神功皇后と武内ソツ彦の三韓征服によって…

女帝、神功皇后と3人の王

日本の歴代天皇の系図は9代開化天皇(オオヒビ)の次に10代崇神天皇となっています。出雲の伝承によるとオオヒビの後にはヒコイマス、ヒコミチヌシと続き、そこで磯城王朝は終焉を迎えました。 記紀に記された崇神天皇以後の系図をみてみます。 物部王朝は…

物部王朝を駆け抜けた武内宿祢

磯城王朝最後の大王、道主(ヒコタツ彦)が稲葉国造となった時、武内宿祢タケシウチスクネはそれに従って稲葉国の宇部山(鳥取市)に移り住みました。そこへヒバス姫から連絡があり、夫のイクメ大王が武内宿祢に刺客を放ったというのです。武内宿祢は慌てて…

アメノウズメと月の女神

古事記の中でニニギノ命が天降ろうとした時、下を眺めると天の八岐やちまた(道の分かれるところ)に見知らぬ神が立っていました。その神は高天原から葦原中つ国まで、照らし輝かせています。天照大神はアメノウズメを遣わせ、なぜ道を塞ぎっているのか尋ね…

天女の羽衣と浦島伝説を結ぶ月の女神

今回は丹波へ逃れていった月の女神の足跡を追ってみたいと思います。まずは丹後国風土記の伝承から。 天の羽衣伝説 奈具社 丹後国に比治の里がある。比治山の頂に「真名井」という泉があったが今は沼である。この泉に8人の天女が降りてきて水浴びをした。そ…

太陽の女神(オオヒルメムチ)VS 月の女神(ワカヒルメムチ)

イクメ王の率いる東征軍が生駒山地に逗留している頃に話は戻ります。今回は勝友彦著「親魏和王の都」を参照します。 3人目のヒミコ 大和では磯城王朝10代ヒコイマス大王が亡くなり、娘の佐保姫が三輪山の姫巫女となっていました。三輪山の姫巫女は代々登美…

相撲の神さまと古代出雲の神事相撲

出雲王国の滅亡後も、物部東征軍は大和を目指して河内国へと進軍します。当時大和国は彦道之宇斯ヒコミチノウシ大王が和邇わにの都で勢力を持っていました。天理市の北部に和邇下神社がありますが、この辺りが都だったようです。 物部軍よりも先にタジマモリ…

西出雲王国の最期~和秤宮(久奈子神社)

旧王宮・智伊宮 第2次物部東征の頃、西出雲王国の主王は神門臣家の第17代山崎帯ヤマザキタラシ王でした。 王宮は真幸ヶ丘の北方(出雲市神門町、地図の智伊神社の辺り)にありました。そこは平野だったので、東征軍の侵入経路を想定して幾重にも堀を作って…

東出雲王国の終焉~田和山神殿と熊野大社

ここからは出雲王国の最期を辿っていくことになります。 紀元前6世紀から700年以上に渡る日本最古の王国の終焉です。ただ歴史を辿るというだけではない、何か重い扉を開けなければならない感覚がずっとあって、それでもこの扉を開けることで次の段階へ進む…

魏書に潜む男たちの戦い

いわゆる邪馬台国の時代、日本は西の物部・豊連合王国と東の磯城王朝が対立していました。都はひとつではなく、都万と大和(この時は和邇)にあったことになります。 それでは今回は外から見た和国の様子を見てみたいと思います。中国の史書、三国志の魏書に…

邪馬台国の夢~ヒミコの恋

今夜は皆既月食の赤い月 Blood moon ですね。しかも今月2度目の満月 Blue moon 。そして月と地球が最も近づく Super moon です。 日本でこの3つの現象が重なったのは約150年前、明治維新の直前だったそうです。国の仕組みが大転換しただけでなく、人々の意…

第2次物部東征~日月星・神々の光芒

中国の三国時代(魏、呉、蜀)について書かれた歴史書「三国志」の呉書によると、 呉王(孫権)は230年に1万の兵を夷州(沖縄)と亶州(九州)に派遣して現地の人を兵士として連れて帰ろうとしたけれど、亶州の場所がわからず夷州から数千人だけを連れて帰…

纒向のヒミコと箸墓と

後漢書や三国志の魏書に記された「卑弥呼」の話へと進めつつ、前方後円墳の芽生えともいえる纒向遺跡について紹介したいと思います。 磯城王朝8代クニクル大王の后、クニアレ姫は登美家出身の三輪山の姫巫女ヒメミコです(登美家は出雲事代主の分家)。娘の…

古墳の始まり~出雲から楯築、纒向へ

★2018年5月17日改訂★ 実は古墳が苦手です。見ることではなくて分類が。 種類、時期、地域を考えると、どう整理してよいのかわからず困っていました。なのでどこで古墳の話を挿入しようかと、ずっと迷っていたのです。ところが救世主が現れました!吉備発祥と…

第1次物部東征~八咫烏と八岐大蛇

第1次物部東征で紀ノ川の名草軍に撃退された物部軍は、海路で熊野へ向かい、熊野川中流の中州に本拠地を置きました。 大和葛城ではすでに主力となる勢力はなく、出雲王家の分家である登美家は、次は物部が大和を統一するだろうと見越します。 出雲の伝承で…

夕占(ゆふけ)と母系家族制

万葉の占いに夕占ゆふけというものがあります。 ゆふけ。なんとも儚く切ない響きをしています。どのようなものなのか、万葉集から見てみたいと思います。 ☆言霊の 八十やその巷ちまたに 夕占問ふ 占正うらまさは告のる 妹はあひ寄らむ 辻で夕占をしたところ…

お正月の源流~日本と古代インドの絆

あけましておめでとうございます。 源流なびのSorafullです。 このブログを読んで下さっている方々に心より感謝し、今年も源流探求に邁進していく所存であります!本年もよろしくお願いいたします。 さて今年初めのテーマはお正月です。毎年当たり前のように…

第1次物部東征~熊野権現vs名草戸畔

古事記による初代神武天皇の東征ルート 出雲伝承による第1次物部東征ルート 徐福の北九州への渡来後、次男ヒコホホデミとその子孫たちによって物部王国が築かれました。ヒコナギサタケ(ウガヤフキアエズ)王の御子、五瀬イツセはヤマトへの遷都のチャンス…

欠史7代とナガスネ彦とアラハバキ

ヤマトの大王の地位を失ったフトニ王は吉備国王となったのち、大山だいせんの西北にある孝霊山の麓の宮(現高杉神社)で晩年を過ごします。この孝霊山という名はフトニ王の諡いみな(死後の贈り名)です。ヤマトから細姫と福姫が一緒に来ましたが、フトニ王…

和国大乱~日矛の渡来と吉備王国

中国の史書にみられる「倭」という漢字は蔑字なので、ここでは和と書きますが、史書に記された文章の紹介ではそのまま倭という字を使います。卑弥呼なども同様とします。 三国志魏書の倭人伝によると、 その国(倭国)も、もとは男を王としていた。男が王で…

神在月の旅⑶ 粟嶋神社と美保神社~父娘を結ぶ海

風土記の頃の中海と周辺 江戸時代中頃の埋め立てによって粟島は陸続きとなりました。現在の山陰本線もかつては海の中ですね。弓ヶ浜という名前は「夜見島」から変化したのでしょうか。 米子水鳥公園から粟島を見ています。とても小さな島です。だから粟島? …