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源流なび Sorafull

出雲王国

宮地嶽古墳⑹翁の舞と山の能。そして磯良舞

宮地嶽古墳の埋葬者は誰なのか、6回に渡り探ってきましたが、そろそろ今回でひと区切りとしたいと思います。 宮地嶽神社では磐井の子孫(孫)を祀っていて(埋葬者?)、それは安曇氏であるという情報があるようです。磐井の孫というのは年代から可能性あり…

宮地嶽古墳⑸筑紫神楽舞とサルタ彦の苦悩

サルタ彦大神の七変化 「サルタ」とはドラビダ語で「突き出たもの、出っ張り」という意味で、猿とは無関係です。サルタ彦は象神のガネーシャなので鼻高彦とも呼ばれますが、山岳仏教の中でそれが天狗に変わってしまいました。(ガネーシャの鼻は男性の象徴。…

宮地嶽古墳⑷英彦山とサルタ彦大神

英彦山の神々を見ていきましょう。 地図は南北を反転させています。 英彦山神宮の主祭神は天忍穂耳命アメノオシホミミです。天照大神の御子なので日の子の山、日子山と呼ばれています。(のちに彦山⇒英彦山) 天忍穂耳命は高木神の娘、栲幡千々姫タクハタチ…

宮地嶽古墳⑶朝闇の筑紫舞

筑紫舞についてはこちらの記事に書いています。 筑紫舞宗家の西山村光寿斉さんは、昭和11年に宮地嶽古墳内で筑紫舞の奉納に立ち会っておられます。立ち会うというよりも、ある儀式のようなものを経ることで、筑紫舞伝承者として最後の段階へと進んでいくこと…

宮地嶽古墳⑵磐井と大彦、鞍手の伝承

大彦についての過去記事です。 出雲伝承には九州の情報がそれほどありません。なので独自の伝承がとても多い九州に踏み込んでいくと、道標なしには翻弄されてしまいそうだな、というのが正直な印象です。まだまだ未知の情報がありますし、現段階はひとつの答…

宗像一族。そして宮地嶽古墳⑴

引き続き、N様より頂いたご質問に今回もチャレンジしてみたいと思います。 その前に、N様がご紹介下さった「海の民、宗像」という漫画がありまして、これは宗像市世界遺産登録推進室というところが編集しておられます。発行から2年後に見事登録されました!…

九州王朝説と出雲伝承

以前、N様より次のようなご質問を頂いておりました。 筑紫君一族と宗像一族、そして百済との繋がりはどうなっているのでしょうかと。磐井の乱の真相、継体天皇の没年における百済本記の真意、宮地嶽古墳の被葬者についても尋ねておられます。これらの質問は…

古代淡路島と平群王朝

皆さまから頂くコメントが、少しずつ手元に溜まり、何度も読み返しているうちに自分の中の情報やイメージと交錯し、思わぬ扉を開けることがあります。 今回はそのひとつを紹介させて頂きます。 T様は古代の淡路島の情報をよく教えて下さいます。その中で次の…

新刊「出雲王国とヤマト政権」と系図について

令和の時代がスタートしましたね。 上皇さまご夫妻のにこやかなお姿も少しだけ拝見でき、今も言葉に尽くせぬ感謝の想いが溢れます。 天皇皇后両陛下はこれまで以上に凛々しいご様子で、新たな時代の瑞々しさを感じずにはいられません。上皇さまご夫妻が繋い…

三種の神器~出雲伝承より

まもなく平成から令和へ、皇位継承の儀式「剣璽けんじ等承継の儀」が行われます。西欧風に言えばレガリアですね。まるでおとぎ話や映画のような厳かな儀式が2000年を超えて今に受け継がれている、そのことに深い神秘を感じてしまいます。 草薙剣くさなぎのつ…

夫婦像と祈り

天皇陛下の御退位が近づき、連日のように天皇皇后両陛下のご様子がテレビで報道されています。おふたりの寄り添うお姿を拝見するたびに、Sorafullの胸には道端に静かに佇む石造りの夫婦像が浮かびます。 上の写真は室町時代以降に信州や関東地方でたくさん作…

訂正のお知らせと新情報

先日、読者のP様よりご質問を頂き、調べていくうちに過去記事を訂正しなければならないと気づきましたので、取り急ぎお知らせ致します。 以下の記事の中で、曙立王を物部朝倉彦と書いておりますが、出雲伝承において同一人物ではないことがわかりましたので…

西宮えびす(西宮神社)⑶沖のえびすと三郎殿。えびす信仰について

沖ノ戎 おきのえびす 明治5年に現荒戎町より西宮神社境内に移された沖恵美酒神社です。南のえびす門を入って左手になります。 恵美酒エビスに「酒」の字が使われていますが、西宮は灘の酒の産地です。また事代主は三輪山でも酒の神として祀られています。な…

西宮えびす(西宮神社)⑵大国主西神社と百太夫神社

東側の表大門。通称、赤門。十日えびすの福男選びはこの扉が開いたらスタートです。境内図の右下にありますね。前回載せたえびす宮の門は中央手前の南門になります。赤門のほうが立派ですが、実は海に面した南門のほうが表だったそうですよ。 推定室町初期以…

西宮えびす(西宮神社)⑴ヒルコの神と西てふ神

前回の投稿から長らくのお休みを頂きました。 春よりライフスタイルの変化がありまして、まとまった時間を持てなくなっておりましたが、また少しずつ発信していこうと思っております。今後は不定期の投稿となりますが、よろしくお願い致します! なおコメン…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑶

消された出雲王国 天武天皇の帝紀の編集に関わった忌部子人は、その経験から古事記の最初の部分を担当したようです。物部の時代から宮廷祭祀を担ってきた忌部氏は、日本の神々や神社に詳しく適任でした。もとは徐福の第2次渡来時にやってきた氏族なので、道…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑵

斎木雲州著「古事記の編集室」「万葉歌の天才」を主に参照しますが、物語風に記されているところも多く、それが研究による推測であることも考慮し、そういった箇所は断定せずに紹介していきたいと思います。 天武天皇による帝紀の編集 天武10年(683年)に帝…

古事記と日本書紀~ふたつの影法師⑴

通説では中大兄皇子(天智天皇)の時代、乙巳の変において蘇我入鹿が自宅に火を放ち自害した際に書庫も炎上し、天皇記などの歴史書が焼け、残った国記だけが天皇に献上されたといわれます。その後の壬申の乱によって天武天皇が即位し(673~686年)失われた…

【告発書】かぐや姫の物語に託されたもの⑵

5人の貴族とそのモデル 石作イシヅクリの皇子⇒石作氏は丹比氏と同族⇒丹比真人島 庫持クラモチの皇子⇒車持与志古娘の息子がのちの右大臣・藤原不比等 左大臣・安倍御主人ミヌシ⇒大納言・安倍御主人 大納言・大伴御行ミユキ⇒大納言・大伴御行 中納言・石上麻…

【告発書】かぐや姫の物語に託されたもの⑴

個人的な話になりますが、少々お付き合いください。 私Sorafullは幼い頃より父から「藤原不比等フヒト」の名を繰り返し聞かされてきました。この人が日本の古代史における黒幕であり、史実を歪めてしまった、そして柿本人麿カキノモトヒトマロはそのすべてを…

平群王朝から蘇我王朝へ

記紀ではこの系図のように、ホムタ大王(応神)の御子がオオサザキ大王(仁徳)ということになっていますが、出雲伝承はそこに血の繋がりはないといいます。 物部王朝が終わって次に現れたのが平群へぐり王朝です。 神功皇后と武内ソツ彦の三韓征服によって…

女帝、神功皇后と3人の王

日本の歴代天皇の系図は9代開化天皇(オオヒビ)の次に10代崇神天皇となっています。出雲の伝承によるとオオヒビの後にはヒコイマス、ヒコミチヌシと続き、そこで磯城王朝は終焉を迎えました。 記紀に記された崇神天皇以後の系図をみてみます。 物部王朝は…

物部王朝を駆け抜けた武内宿祢

磯城王朝最後の大王、道主(ヒコタツ彦)が稲葉国造となった時、武内宿祢タケシウチスクネはそれに従って稲葉国の宇部山(鳥取市)に移り住みました。そこへヒバス姫から連絡があり、夫のイクメ大王が武内宿祢に刺客を放ったというのです。武内宿祢は慌てて…

アメノウズメと月の女神

古事記の中でニニギノ命が天降ろうとした時、下を眺めると天の八岐やちまた(道の分かれるところ)に見知らぬ神が立っていました。その神は高天原から葦原中つ国まで、照らし輝かせています。天照大神はアメノウズメを遣わせ、なぜ道を塞ぎっているのか尋ね…

天女の羽衣と浦島伝説を結ぶ月の女神

今回は丹波へ逃れていった月の女神の足跡を追ってみたいと思います。まずは丹後国風土記の伝承から。 天の羽衣伝説 奈具社 丹後国に比治の里がある。比治山の頂に「真名井」という泉があったが今は沼である。この泉に8人の天女が降りてきて水浴びをした。そ…

太陽の女神(オオヒルメムチ)VS 月の女神(ワカヒルメムチ)

イクメ王の率いる東征軍が生駒山地に逗留している頃に話は戻ります。今回は勝友彦著「親魏和王の都」を参照します。 3人目のヒミコ 大和では磯城王朝10代ヒコイマス大王が亡くなり、娘の佐保姫が三輪山の姫巫女となっていました。三輪山の姫巫女は代々登美…

相撲の神さまと古代出雲の神事相撲

出雲王国の滅亡後も、物部東征軍は大和を目指して河内国へと進軍します。当時大和国は彦道之宇斯ヒコミチノウシ大王が和邇わにの都で勢力を持っていました。天理市の北部に和邇下神社がありますが、この辺りが都だったようです。 物部軍よりも先にタジマモリ…

西出雲王国の最期~和秤宮(久奈子神社)

旧王宮・智伊宮 第2次物部東征の頃、西出雲王国の主王は神門臣家の第17代山崎帯ヤマザキタラシ王でした。 王宮は真幸ヶ丘の北方(出雲市神門町、地図の智伊神社の辺り)にありました。そこは平野だったので、東征軍の侵入経路を想定して幾重にも堀を作って…

東出雲王国の終焉~田和山神殿と熊野大社

ここからは出雲王国の最期を辿っていくことになります。 紀元前6世紀から700年以上に渡る日本最古の王国の終焉です。ただ歴史を辿るというだけではない、何か重い扉を開けなければならない感覚がずっとあって、それでもこの扉を開けることで次の段階へ進む…

魏書に潜む男たちの戦い

いわゆる邪馬台国の時代、日本は西の物部・豊連合王国と東の磯城王朝が対立していました。都はひとつではなく、都万と大和(この時は和邇)にあったことになります。 それでは今回は外から見た和国の様子を見てみたいと思います。中国の史書、三国志の魏書に…