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源流なび Sorafull

古代史

邪馬壹国から邪馬臺国へ⑴

倭人の源流を探る中で、前回は古田武彦氏の書籍を参照しましたが、もうひとつ、非常に面白い古田説があります。 「三国志魏書の倭人伝に書かれているのは邪馬臺(台)国ではなく、邪馬壹国ヤマイコク、ヤマイッコクだ」 というものです。この説の存在は以前か…

倭人⑶東夷の舞

「昧まいは東夷の楽なり、任は南蛮の楽なり。東夷の楽を大廟に納め‥」《礼記、巻14》 倭人⑵でも紹介しましたが、周の第2代成王の補佐として王朝の基礎を築いたという周公が亡くなった時、成王が周公への恩とこれまでの功績を称え、天子を祀る礼式で代々祀り…

倭人⑵周王朝に鬯草を貢す

今回は倭人の居場所について考えてみたいと思います。 中国の史書で倭人について記した有名なものといえば、漢書地理志の「楽浪海中、倭人あり」でしょうか。もしくは前回紹介した三国志の「漢のとき朝貢するものあり」や後漢書に書かれている漢倭奴国王の金…

倭人⑴太伯の後と自称大夫

「SOMoSOMo」は、古代史を研究していた父のバトンを受け取る形で始まったと何度か書きましたが、今日は母の話を少し。 母は万葉集が好きで、故犬養孝氏(万葉学者)の万葉ハイキングへせっせと足を運んでいました。見向きもしなかった私に「あなたも中年にな…

倭人に迫る・九州西北部

(2019.3.17.一部改定) キーワードは「九州西北部」 少し前にNHKの「クローズアップ現代」という番組で、マッチョな弥生人の骨について紹介していました。今年8月、人類学者の海部陽介氏が、宮ノ本遺跡(長崎県佐世保市の高島)から弥生時代の全身骨格を発…

安曇磯良と五十猛⑻ 春日大社若宮と摩氣神社

今回、弓前文書を紹介しておりますが、このブログは出雲伝承を踏まえつつ古代史を探求していますので、私Sorafullのフィルターがかかることを避けられません。ですので興味をもたれた方は、前回記事でも紹介した原本を読んで頂くことをお勧めいたします。 弓…

安曇磯良と五十猛⑺ 鹿島香取と弓前文書

前回の続きです。 弓前文書については今後の検証が必要とは思われますが、まずは現段階で提示された内容をできるだけ偏見なく学び、それから各自がどう受けとめていくかだと思います。このブログにおいては私、Sorafullの研究資料として皆さんと共有したいと…

安曇磯良と五十猛 ⑹ 鹿島神宮・春日大社

鹿島神宮 中世に書かれた八幡宮御縁起によると「志賀島の明神、鹿島大明神、春日明神、すべて一躰分身、同躰異名」と記されています。八幡愚童訓や太平記では磯良は常陸の鹿島にいたとしています。中世に書かれたということは、記紀や鹿島、春日宮創建なども…

安曇磯良と五十猛⑸ 君が代から磯良舞へ[後半]

5)712年古事記の神話として綿津見神が記される。720年日本書紀では少童ワタツミ命、海神豊玉彦。800年には新撰姓氏録にて安曇氏の始祖を綿積豊玉彦とする。 正史に磯良は登場しませんが、ワタツミ神は安曇連の祖神とされ、新撰姓氏録には安曇氏の始祖とし…

安曇磯良と五十猛⑷ 君が代から磯良舞へ[前半]

初めに磯良の舞を紹介します。磯良舞については鈴鹿千代乃著「神道民俗芸能の源流」を参照します。 細男せいのう舞:春日大社、手向山八幡宮(奈良) 五十良舞:柞原八幡宮(大分) 鞨鼓かっこの舞:志賀海神社 傀儡舞(人形)の細男舞:古表神社(福岡)古…

安曇磯良と五十猛⑶ 鎮魂祭の神楽歌・あちめわざ

宇佐家に伝わるシャーマニズムについて、宇佐公康著「古伝が語る古代史」を参照しながら紹介します。 宇佐神宮 南中楼門 1928年撮影の本殿 「振る毎に一種ひとくさに拍手一ッ、息都鏡一ッ、辺都鏡一ッ、八握劔一ッ、生玉いくたま一ッ、足玉たるたま一ッ、死…

安曇磯良と五十猛⑵ 振魂命・建位起命・宇豆彦命

古代史好きの父の影響で、幼い頃より九州王朝という言葉に馴染んではいました。20年ほど前、古代より伝わるという筑紫舞に接したことがきっかけで、九州王朝の存在を少し意識するようになりました。最近になって出雲王家の伝承を知り、九州王朝とは中国から…

訂正のお知らせ&安曇磯良と五十猛⑴

先日、NHKーBS放送で「アメリカ 謎の古代遺跡」という番組があり、その中でアメリカ先住民であるプエブロ族を紹介していました。彼らはかつてスペインやアメリカによって、土地も言語も宗教も命も奪われたといいます。現在、ニューメキシコのタオス・プエブロ…

日本列島を目指した人々がいた⑵ マンモスハンターたちの技術革命から土器の誕生まで

バイカル湖畔にそっくりさんたちがいる 篠田謙一氏の研究より。縄文人29体のミトコンドリアDNAを分析して、世界の民族のDNA情報が集まるデータバンクから一致するものを探したところ、韓国、台湾、タイに一体ずつ一致、そして17体がシベリアのブリヤート人と…

日本列島を目指した人たちがいた⑴ 埋もれていた海の民の先進文化が常識を変える

新宿駅の北側に新宿百人町遺跡があります。住所を遺跡名にしただけ、なのに不思議と味わいがありますね。 新宿の初期の住人は2.5万年前の旧石器人。持ち物を見ると北方からの移住者のようです。彼らは焼いた石の上でお肉を蒸し焼きにして食べるという手の込…

古代海人族を結ぶ糸(5)安曇氏と冶金術、辰砂の魅力。そして龍伝説

安曇氏のその後はどうなったのでしょう。 現在長野県安曇野市の穂高神社では穂高見命、綿津見神、ニニギノ命を祀り、奥深い山の中で海人の祭り、御船祭を毎年行っています。 穂高見命といえば新撰姓氏録によると、綿積豊玉彦命の子であり安曇氏の祖となって…

古代海人族たちを結ぶ糸(4)誰が徐福たちを運んできたのか? 越人vs倭人

(2017年9月17日改稿) 紀元前770年~同403年 春秋時代 大陸の海人族、越人 中国では長江より南のベトナムに至る広大な地域に、百越(ひゃくえつ)と呼ばれる越人の諸民族集団(漢民族ではない)がいて、春秋時代には呉や越の国を構成しました。 三国志魏書倭…

古代海人族たちを結ぶ糸(3)五十猛から徐福へ

五十猛がイソラ、タケイタテだったのか? 古代史に登場する人物はたとえ同じ名前であっても、実際に一人の人物を指すわけではなく、例えば役職名のように代々同じ名前を受け継ぐ場合もあれば、神となって時空を超えて登場することもあります。(武内宿禰は何…

古代海人族たちを結ぶ糸(2)海部と出雲と宗像の切れない関係  

さて、宗像氏と海部氏の関係はどうなっているのでしょう。 海部氏の勘注系図によると火明命は、 ①大己貴(オオナムチ)と多岐津姫の娘、天道日女(別名高光日女)をめとって天香語山命(アマノカゴヤマ)が生まれる。 ②市杵嶋姫(イチキシマ)をめとって穂屋…

古代海人族たちを結ぶ糸(1)海部氏の系図 

筑紫舞に残された謎に導かれるように、ソラフルは「君が代」の背景を探ります。 筑紫の王、安曇磯良の行方を追ううちに、他の海人族たちの存在が浮かび上がってきました。 まずは神話に描かれた海神たちの登場シーンから。 海神の誕生 死者の国から逃げ帰っ…

そもそも「君が代」のキミって誰?(3)神々と安曇の君

この日の旅もそろそろ終わりに近づいています。 お昼前に博多駅でレンタカーを借りて糸島半島へ、そしてまた博多へと戻ってそこから志賀島を目指して海の中道へ。半日では少々キツいスケジュールとなりました。 夕暮れが迫っています。 海の中道は10kmほど続…

そもそも「君が代」のキミって誰?(2)糸島から博多湾岸・君が代の旅

このコスモスは前原市井原(イワラ)にある王墓跡に咲き乱れていました。 井原と書きますが、漢字は後からつけられたものですので音が大事です。地元の人はイハラやイバルではなくイワラと呼んでいます。 巨石信仰があったとすると、岩羅、磐羅、であっても…

そもそも「君が代」のキミって誰?(1)志賀海神社の山誉め祭

君が代の発祥の地とされる糸島半島から志賀島へ。地名や神名が盛り込まれた君が代の幽遠なる歴史を辿ります。

そもそもは幻の筑紫舞、古典芸能の源流へ(3)宮地嶽神社に蘇った古代の舞

別れ、そして再び 太平洋戦争に入ってからは、検校は光子のもとに1度来ると1年中ほとんど家にいて毎日稽古が続きました。 昭和18年の秋、検校から「もう全部伝えました。しっかりと体に入れて後々まで残して伝えてください。私はもうお暇します」と稽古の…

そもそもは幻の筑紫舞、古典芸能の源流へ(2)菊邑検校が秘めたもの

前回の記事はこちら 光子たちのその後に入る前に、筑紫舞の大事なポイントを何点か挙げておきたいと思います。 筑紫舞の核となる舞は翁の舞(くぐつ舞)です。 諸国の翁(その地方の王)が集まって諸国の舞を披露します。 三人立ち 肥後、加賀、都の翁 五人…

そもそもは幻の筑紫舞、古典芸能の源流へ(1)筑紫くぐつと洞窟古墳の舞

古来より伝承されてきた筑紫舞。昭和初期に途絶えかけた筑紫舞を復活させた人たちがいました。宮地嶽古墳におけるくぐつたちの神秘的な舞。伝承者たちの数奇な運命を辿ります。