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源流なび Sorafull

そもそもは幻の筑紫舞、古典芸能の源流へ(2)  菊邑検校が秘めたもの

 

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前回の記事はこちら

 

somosora.hateblo.jp

 

 

  光子たちのその後に入る前に、筑紫舞の大事なポイントを何点か挙げておきたいと思います。

  

筑紫舞の核となる舞は翁の舞です。

諸国の翁(その地方の王)が集まって諸国の舞を舞います。

 

三人立ち  肥後、加賀、都の翁

五人立ち  上記に加えて、出雲、難波津より上りし翁

七人立ち  上記に加えて、尾張、夷(えびす)の翁

 

このような形なのですが、都の翁だけが地名が抜けています。都とはどこですかとの光子の問いかけに「今は申せません」と検校は最後まで答えなかったといいます。

シンプルに考えれば筑紫舞なのだから筑紫地方だろうと思いますが、明かしてはいけない理由があったのでしょう。

ここが判明すれば「難波津より上りし」の意味も明らかになり、歴史の変遷が浮かび上がってくるかもしれません。隠されるからよけいに気になってしまいます。

途絶えそうな筑紫舞を光子に伝承するならば、なぜ歴史的背景を教えなかったのか。それは光子が九州の子ではなかったからかもしれません。

光子が検校に筑紫くぐつの人たちはどういう人に舞を教えるのかと聞いたとき「九州の子に教えます、それ以外の子がやると言ってもいりません」ときっぱりと答えたそうです。光子が継承者に選ばれたのは異例であったのかもしれないですね。

緊急手段として舞は伝えたけれど、九州の歴史までを光子に背負わせることはしなかった。それができたのは歴史を伝承していく者たちが他にいたからでしょう。

いつかその者たちが事を明らかにする日が待ち遠しいです。

 

 

次に、舞そのものの独特な動きとしてルソン足があります。

踏んで蹴りだした足先を立てているのが特徴です。

♪ トトトン・・トトトン・・トトトントンサ 

軽快で面白いですね。これは地の神に捧げるもので、天の神は舞う人を見てくれるが地の神には見えないので音を捧げるというのです。

〈 天の岩屋の戸の前に桶を伏せて上に乗り、足を踏み轟かし 〉神懸かりしたという天のうずめの命の舞を彷彿とさせます。

他にも鳥とびや波足、砂けり、三界越え(花魁道中の外八文字のもと)などあって、跳躍は一気に現世を飛び越える動きとのことです。

ソラフルが実際に目にした筑紫舞はわずかですが、ふうわりと優美な動きの中に時折跳躍しながらの素早い回転が入ったりして足さばきが実に軽やかで、そして品があるのです。ただ技を披露するというよりも、神様へ捧げるものだからでしょう。 

 

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やっぱり不思議・・・

ところで、光子たちのお稽古について想像してみると不思議だと思いませんか?

盲目の人が舞を習ってさらに人に伝えるとはどういうことでしょう。

ケイさんがいますが彼は話すことができません。さらに筑紫舞は秘伝のためすべて口伝といいます。

ですので光子は初めの頃は1曲マスターするのに1~2年もかかったそうです。

この不思議については当の光子もいつも疑問に思っていたらしく、本当は見えているんじゃないかと試しに足を出してみたら検校が転んでしまったと(笑)

そんなことをしてしまうほど確かに見られていると感じていたのでしょう。衣ずれの音で場所や動きがわかったり、どんな着物か、下にどんな腰巻をつけているかさえ見抜かれるそうです。でも音だけではないような気もします。物を探すのに手探りしているのを見たことがないのですって。検校曰く心眼だそうですよ。

研ぎ澄まされた内面世界に生きておられたのかもしれません。

そのようにして検校やケイさんの全身全霊の集中によって光子は舞人として育てられていくのです。そんな関わり方をする間柄というのは通常の人間関係の枠を超えているように思えます。

そしてそれぞれが私心を超えている。

古代から脈々と伝えられてきた舞を、そしてそこに知られざる歴史を密かに携えながら、ただこの身を通してしか残せない形なきものを、人生をかけて命をかけて守り抜こうとする人たちの結びつきです。

 

補足ですが、文字に残してはいけないという約束事がありますが、昔から縄を結んで文字の代わりにしたり、石や木に〇や△など記号を刻むことで残してはいたそうで、検校にも縄文字の習慣はあったようです。(沖縄では近年まで縄文字が使われていたそうですよ)

隋書倭国伝の中に「文字はなく、ただ木に刻み目をつけたり縄に結び目を作る」とありますが、そのまんますぎて驚きです。

 

もうひとつ不思議なことがあって、検校が光子の家に滞在中は度々「太宰府よりおん使者参りました~」と店先で大きな声で呼ばれていた。また検校が来る10日ほど前には必ず山伏が連絡に来たといいます。

使者の方が家に泊まる時は同室は辞退され「私らが親方様と枕をともにするのは死ぬ時だけでございます」と言われたそう。

全国から光子のもとに伝承者が教えにやってくる時も検校の指示で来たと言う。

検校っていったい何者???

国家体制の裏に隠れたネットワークがあって、そのドンだったのかもしれないですよね。妄想をかきたてられちゃいます!

余談ですが、あの楠木正成も山伏を使って情報戦を展開していたらしく、その正成の妹の子が観阿弥世阿弥の父)なんだそうですよ。くぐつと山伏の関係は?

疑問は尽きませんが、まあこれだけ隠れなければいけないということは、歴史のどの時点かで敗けた側ということはわかります。

検校が光子には地唄舞曽我物語や曽我にまつわるものだけはタブーのように頑なに教えなかったとか、信仰しているのは高木神だけだと言っていた、自分たちの翁は海の翁であり何かあれば鳥船に乗って誰よりも速く空を駆けてくる、などなど手掛かりになるかもしれませんね。

 

 

さてさて、長くなりましたので、光子たちのその後は次回へ続きます。