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源流なび Sorafull

神在月の旅⑴ 出雲大社とかごめ歌

出雲大社では今、神在祭の真っ只中です。

でもこの神在祭と聞くたびにひっかかるものがありました。どうして神々が集うのがこの11月だけなんだろう。だって古代出雲王国時代には、各国の代表たちが集うのは春と秋の大祭なのだから、年に2度のはず。なのになぜ秋だけなんだろうと。

Wikipediaによると旧暦10月を指す「神無月」の語源として、出雲大社に全国の神が集まって会議するため出雲以外の地には神がいなくなるというのは中世以降の後付けであり、「神な月」ではなく「神の月」が元であろうと日本国語大辞典では説明されているそう。

そこで出雲の伝承を調べたところ、勝友彦著「山陰の名所旧跡」にありました。神在月とは龍蛇神が出雲に現れる月のことだそうです。納得!

出雲族はインドで崇拝していたコブラに似た生き物を出雲の地で探し、海辺に打ち上げられるセグロウミヘビを龍蛇神として祀りました。沖縄あたりに住むこのヘビは、寒くなると対馬暖流にまぎれて山陰地方に流れてくるそうです。なのでセグロウミヘビが漂着する旧暦10月に龍蛇神をお迎えする神事が行われます。

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江戸時代に描かれた巻物

そして出雲以外で神無月と呼ばれるのは、もともと旧暦10月をかんなめづき(神嘗月)と言って神様に新米を捧げる月であったのが、漢字では神無月と書かれたために神がいなくなる月と誤解されたそうです。映画「千と千尋の神隠し」で八百万の神々が温泉に集まってくる場面が印象的でしたが、これも中世以降のイメージなのですね。ちょっぴり残念。

実際にお迎えするのは出雲族の崇拝する龍蛇神であり、打ち上げられたセグロウミヘビを捕まえミイラにして、龍神の依り代として祀られます。見た目はけっこう怖いです。

ちなみにこの神在祭で振る舞われる神在餅じんざいもち出雲弁ズーズー弁)で訛って「ぜんざい」と呼ばれるようになったとか。少し古い映画ですが「砂の器」の中でも出雲と東北のズーズー弁が殺人事件の大事な伏線として扱われていました。このズーズー弁は東北から北海道、そして離れた出雲と富山でも使われます。伝承では富山の旧射水郡に出雲の人が移住し、四隅突出墳を多く造ったとあります。

 

出雲大社の神在祭の少し前、11月20日から佐太神社(出雲半島の鹿島町)で神在祭が行われるということで、なんとか都合のつく20日に行ってみました。が、20日の夜に龍蛇神をお迎えするため、まだお祭りは始まっておらず龍蛇神にもお目にかかれずでした。主祭神はサルタヒコ大神です。3つの社殿の中央にいらっしゃいます。 

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出雲大社には何年か前に初めて参詣したのですが、なんというか、あっけないくらいに爽やかで驚きました。大きな公園に歴史的な建物がずどんと建っているような。もっと言えばテーマパーク的な明るさですね。勝手に古代出雲に抱いていたイメージ、厳かさ、幽玄さ、といったものが感じられなかったんです。どうしてだろうとずっと気になっていました。その後出雲の伝承に出会い、ここは王国が滅びた後に建てられたものであり、王宮があった場所でもなかったと知って腑に落ちました。やはりこういう体感というか、現地に行って感じることは大切なんだなと思います。

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西側の塀越しに本殿を見る(1744年に造営)

もちろん現在の出雲大社の大きさには確かに威厳がありますし、その2倍の高さ(48m)だったというかつての高層神殿を想像すると度肝を抜かれます。でもそれもスカイツリーを見上げたときの驚きに似ているかもしれません。人がやってのけることへの驚嘆みたいな。

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 高層神殿模型

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2000年に見つかった三本柱(1248年造営)

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 鎌倉・室町時代の設計図

 

 

本殿の裏手には小さな素鵞社そがのやしろがあります。スサノオを祀っているということで結構有名みたいです。けれど伝承では違います。出雲王家に繋がる蘇我氏を祀ったということなんです。それに江戸時代になってから建てられた新しいもののようです。

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大国主の孫娘と徐福の息子との間にできた高倉下の子孫、紀伊国造家の子孫が蘇我氏であり、越前国の本家蘇我氏に婿入りした富(向)家の次男がオホド王、つまりのちの継体天皇ということです。出雲王家と北陸の蘇我家は婚姻関係をたびたび結んできたので親族なのです。

ここはさらりと流すわけにいかない重大な話なので、少し付け足しておきますが、25代武烈天皇に跡継ぎがいないことから15代応神天皇の代まで遡り、息子仁徳天皇の甥をたどって連れてきたのが継体天皇ということになっています。そして継体天皇の息子である欽明天皇が現在の皇室に繋がっているというのが通説です。

出雲王家によると、継体天皇は富家直系であり応神天皇の血筋ではありません。ここで天孫族である物部の男系は絶たれていることになります。ただし欽明天皇の母は武烈天皇の父である仁賢天皇の娘、手白香姫なので女系では繋がっています。蘇我氏飛鳥時代に別格扱いの権力を持ちましたが、それは継体天皇蘇我氏当主であった時の息子たちの子孫のようです。(手白香姫と結婚する時には蘇我氏の妻とは離婚しています)

ということは、今の皇室がこの継体天皇以降の男系で繋がっているとすれば、出雲王家の血筋ということになり・・・・とんでもない話になってしまうんです。

出雲の伝承ではそのことには触れられていませんが、斎木雲州氏の著書「出雲と蘇我王国」というタイトルの意味がここにあるのかもしれません。

 

話を戻します。

もともと出雲大社(明治までは杵築きづき大社という)を建てたいと言いだしたのは、王国滅亡後に出雲国造となった徐福系ホヒ家の後裔です。701年に中央集権となり、それまでのように各地域の国造が支配する国家から、中央より任命された国司が政治を行うように変わり、国造の地位が落ちていきました。そこで国造は神社の神職に鞍替えすることを考えたのです。

両王家は出雲の神を祀ることを条件に資金を出しました。神門臣家は8代八千矛王(大国主)の遺体が祀られている竜山を拝む位置に建てるよう求めました。(竜山の北東すぐのところに大国主が幽閉された猪目洞窟があります)そして神門臣家が棟梁となり材木も神門川を流して運びました。向家は資金の多くを出したので社頭、経営者となります。716年に大社が完成する前には財筋のメンバーも勢揃いして、今後の運営の規則を作りました。どのような神事をするかなど「出雲と蘇我王国」に詳しく書かれています。

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これは航空写真ですが、大国主を祀る本殿のまわりに摂社がいくつも見えます。

筑紫社 ⇒ 宗像三女神の多岐津姫(大国主の后)

天前社 ⇒ キサカ姫(クナト王の妻、幸姫命の別名)

御向社 ⇒ もとは事代主だったのが変わっているそう

門神社 ⇒ 宇治から出雲に来たウマシウチノ宿祢命(額田部臣の祖)

れら出雲の神々を、背の高い塀が取り囲んでいます。

塀の外には渡来系の神々が。

釜社 ⇒ 中国の社稷神であるウカノミタマ神

氏社 ⇒ 天穂日ホヒ

まるで出雲国造たちが、塀の中に封じ込めた出雲の神々を見張っているかのようですね。

 

このようにして出雲大社は建てられたのですが、徐福系国造家はスサノオを祭神にしたいのが本音であり、それがのちのちまで尾をひきました。神仏習合や分離に翻弄されて祭神が大国主になったりスサノオになったりし、江戸時代にはスサノオ主祭神であるかのように読める漢文が鳥居に刻まれます。その後の立て替えの時期に国造家同士の権力争いを発端に素鵞社そがのやしろが建てられました。蘇我家のオホド王(継体天皇)を祀るという名目だったのですが、のちにこの字面を利用してスサノオへと変わっていったようです。1664年、神仏分離によって祭神は大国主にもどります。現在では主祭神大国主ですが、本殿後ろにスサノオが祀られていると思う人が多いようです。ややこしいですね。

 

最後に言葉遊びをしてみたいと思います。気軽に読んでくださいね。

本殿の背後には聖なる八雲山が、その左右に鶴山と亀山があります。これを見た時に思わず童謡の「かごめかごめ」を口ずさんでいました。

かごめかごめ

かごの中の鳥はいついつ出やる

夜明けの晩に鶴と亀がすべった

うしろの正面だあれ

この意味不明な童謡は、丹後海部氏の籠神社に由来する暗号唄と言われることもあるようです。宮司自らそう言われたという情報も流れているようですが真偽はわかりません。籠神社の神紋は籠目カゴメ紋です。カゴメ紋は六芒星ダビデの星とも言われ、ユダヤ教に由来します。

徐福が実はユダヤ10支族の一族出身ではないかという説もあります。ですが今回出雲のことを調べるうちに、この歌が出雲にも合うと感じるようになりました。

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籠目紋

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六芒星ダビデの星)      

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龍鱗枠(亀甲紋)

カゴメ紋というのは六角形の亀甲紋でもあり、出雲の紋の龍鱗枠(六角形)と同じです。籠かごといえば王の遺体を竹の籠に入れて風葬にします。あ、今気づきましたが籠という字は竹に龍ですね・・・・。籠もるとも読みますし。王の霊が宿る神名備山かんなびやまの「なびる」とは籠もるの古語です。竹籠に納めた王の遺体を風葬にして遺骨を山に埋葬し、その山に籠もる王の霊を遙拝したということです。

続けます。鶴と亀というのは実は男女を表わし、鶴が男性の象徴、亀は女性の象徴なのです。すべるが「統べる」であればひとつにまとめる、統合する、という意味になります。幸の神のXかけ印、男女の聖なる和合ですね。それは生命の誕生、再生の意味でもあります。

籠の中の鳥というのが出雲大社塀の中の神々を指し、闇の時代が終わり、夜明け前の最後の夜、聖なる和合によって再生が起こることを暗示しているともとれませんか。さらに出雲国風土記によると神門臣家(大国主)の名前の由来は神門を奉ったからとされ、これは鳥居のことのようです。「サルタ彦大神と竜」によると最初は2本の門柱のみ(出雲の生馬神社)であったところにしめ縄を渡し(大神神社)のちには横木となった。門であればそれだけでいいところが、さらに真ん中に短い縦の木を加え鳥とした。とは万葉歌では婿を表わし、女系家族の家には夜になると婿がくる。男女の和合は神聖でおめでたいこと。これが鳥居の由来としています。

そしてうしろの正面(=素鵞社)は誰なのか。伝承では蘇我継体天皇ですが、この唄を作ったのがどの時代かによっても変わってきそうですね。徐福や徐福の信仰する神々なのか、出雲の神々なのか。結局どのような解釈も可能で、それほどに日本で封じられてきた存在が多いということなのでしょう。

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 もうすぐ龍蛇様が到着する稲佐浜