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源流なび Sorafull

【告発書】かぐや姫の物語に託されたもの⑵

 

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5人の貴族とそのモデル

石作イシヅクリの皇子石作氏は丹比氏と同族⇒丹比真人島

庫持クラモチの皇子車持与志古娘の息子がのちの右大臣・藤原不比等

左大臣・安倍御主人ミヌシ⇒大納言・安倍御主人

大納言・大伴御行ミユキ⇒大納言・大伴御行

中納言石上麻呂イソノカミマロタリ⇒のちの左大臣石上麻呂(物部連麻呂)

 

⑴ 石作ノ皇子

かぐや姫に出された難題は「仏の御石の鉢」を持ってくることです。これは釈迦が悟りを開いた時に四天王から得た光る鉢で、天竺にあると言われています。皇子は今から天竺へ行ってまいりますと偽って3年後、大和の山寺にあるすすけた石鉢をかぐや姫のもとへ持っていきました。もちろん光を放つはずもなく、あっけなく失敗に終わり、皇子は未練たらしい歌を詠んで帰っていきます。

《補足》

 丹比真人は皇族出身で、八色の姓で最高位の真人を授かっています。

 

⑵ 庫持ノ皇子

「東の海にあるという蓬莱山に行って、根が白銀、幹が黄金、実が真珠の木からその枝を持って帰る」という難題。皇子は探しに行くといって西に向かって船を出し、3日ほどでこっそり帰ってきます。そして国の至宝である鍛冶職人を6人集めて偽の枝を作らせるのです。人に知られないように3重の柵を巡らせた小屋まで建てました。

枝が完成すると皇子は船で帰って来たように見せかけ、疲れ果てた様子でかぐや姫のもとを訪れます。その本物と見間違うほどの出来栄えに、誰もが騙される寸前、鍛冶職人たちが押しかけます。その代表者、漢部アヤベ内麻呂が言うには、3年もかけて作ったのにまだ報酬をもらえていない。代わりにあなたが払ってほしいと。かぐや姫は呆れ、支払います。職人たちは帰り道で皇子に襲われ、彼らがもらったお金を捨てられた上、とことん傷めつけられました。皇子はそのまま深い山へと入り、人目につかないよう隠れてしまいました。

《補足》

藤原不比等鎌足の子ですが、天智天皇と車持与志古娘の落とし子ではないかという説が古くからあるようです。不比等持統天皇の側近として頭角を現し、娘たちを天皇家に嫁がせ、揺るぎない地位を築いていきます。

ここで漢部内麻呂が出てきました。これは柿本人麿を指しているということです。人麿の母親は漢アヤ氏の部民である綾部家の者でした。綾部家は「語らい家」(語り部の技術をもつ歴史に詳しい者)です。古事記序文に書かれた稗田阿礼ヒエダノアレですね。

実は人麿の父親が天武天皇と伝承では言われており、天武天皇の幼名が漢ノ皇子です。安曇家(海部氏の分家)に預けられて育ったので大海人オオアマノ皇子と呼ばれました。綾部人麿は大海人皇子の縁者に連れられて都へ行き、柿本家の養子となります。(柿本家は磯城王朝5代カエシネ大王の分家です。)人麿の母親の身分が低かったため、天武天皇は人麿が息子であることを伏せていたようです。

この物語の中で庫持ノ皇子のしたことは、藤原不比等が人麿にこっそりと偽の史書である古事記を書かせ、その後事実が漏れないように冤罪を着せて生涯幽閉したことを示しているようです。古事記を書いていた場所も誰にも見つからないような旧宮跡の建物だったといいます。物語のように皇子が最後に隠れてしまうということはありませんでしたが。

 

⑶ 左大臣、安倍御主人

唐土(中国)にある火ネズミの燃えない皮袋」という難題です。財力の豊かな左大臣は、家来に大金を持たせて唐に買いに行かせます。家来の持って帰った皮袋をかぐや姫に渡すと、実際に燃えないかどうか試してみましょうということになります。火をつけたとたん、メラメラと燃えてしまいました。偽物をつかまされたのです。

 

⑷ 大納言、大伴御行

難題は「龍の首の中にあるという五色に光る珠」です。大納言は家来たちに取ってくるように命じますが1年経っても帰ってきません。皆逃げてしまったのです。そこで自分が船を雇って筑紫の国から出航します。この弓矢で龍を射れば珠など簡単に手に入ると豪語しながら。すると突然大嵐となって雷が閃光を放ちます。大納言は船頭に言われ、龍神様に必死で謝り祈りました。すると嵐はおさまり、船は岸へと帰り着くことができました。大納言はすべてを諦めて帰っていきました。

《補足》

昔、不老不死の薬を探していた秦の始皇帝のもとへ徐福が現れ、東海に三神山があり仙人がいるので子どもたちを連れて行かせてほしいと頼みました。童男童女数千人を連れて旅立ったけれど成果なく帰ってきます。そして再び始皇帝に、蓬莱山の近くに大サメがいて進めません。弓の名手を連れて行かせてくださいと頼みます。海中には銅色の龍神がいたとも言っています。今度は3千人の子どもらや技術者たちを連れて出発しました。この話は中国の史記に記されています。大納言の難題は徐福の話を彷彿とさせます。徐福の2度目の渡来地は筑紫地方でした。

そしてまた、大納言が龍神の首を討とうとすることは、古事記ヤマタノオロチに重なります。これはスサノオ(徐福)がオロチを斬るという話ですが、出雲の神が出雲の守り神である龍神を斬ることはあり得ません。なので出雲を倒した側の作り話です。

 

⑸ 中納言石上麻呂

最後は「ツバメの持っている子安貝」です。ツバメが卵を産む時にお腹に現れると聞いて、大炊寮の食堂の屋根の下の巣から家来たちに取らせようとします。(実際は南の海にいる貝です。)なかなかうまくいかず、待ちきれなくなった中納言自ら、天井から吊るした籠に乗って巣の中に手を入れます。つかんだと思ったものはツバメの糞でした。その時綱が切れて落下、中納言は大怪我をしてしまいます。やがて容態が悪くなって亡くなりました。

《補足》

中納言が落ちたところには八島の釜戸神が祀られていました。古事記には初代出雲王が八島士之身神と書かれ、ここから大八島(日本列島)という言葉ができたといいます。出雲の神の真上に物部の石上麻呂が墜落し命を落とします。なんとも風刺的な一文です。

 

 

以上5人の難題について紹介しましたが、龍神の話以外はどれも偽物ということがテーマになっていますね。

記紀が作られた時の左大臣と右大臣は石上麻呂藤原不比等です。彼らが偽物の史書を作らせ、そして柿本人麿は書かせられ、残りの3人は虚偽の話が作られていくことを黙認したとして悪者に描かれていると、斎木氏は指摘しています。※参照「古事記の編集室」「お伽話とモデル」

追記2018.5.3

686年に天武天皇が亡くなり、その1ヶ月後に政務の中心だった大津皇子が謀反を企てたという偽の告訴を受けて死刑となりました。次の天皇が即位しないまま皇后が実権を握ります。3年後に不比等刑部省(警察や刑務所)の判事に任命され、その2ヶ月後、草壁皇子が急死します。そして皇后が持統天皇として即位し、高市皇子太政大臣となりました。この皇子はとても尊敬され慕われていたらしく、持統天皇としては孫の軽皇子を早く即位させたかったので脅威を感じていたようです。持統天皇10年(696年)7月に高市皇子は亡くなります。大津皇子の二の舞だったようです。人麿はこの時高市皇子の舎人とねりとして香具山の宮に務めていました。とても長い挽歌を捧げています。その中に死の理由が詠みこまれていると斎木氏は言います。この時の右大臣が丹比真人です。前回紹介しましたが、日本書紀に書かれた持統天皇10年の記事、「丹比真人、安倍御主人、大伴御行石上麻呂藤原不比等に舎人の私用を許す(要約)」という記述は高市皇子が亡くなって3ヶ月後のものです。人麿も含め失業した舎人たち380人の次の勤務先が、この5人の高官たちだったのです。かぐや姫の物語は香具山の宮に居られた高市皇子の冤罪に関わった(黙認した)人への批判でもあるようです。

 

その他の登場人物について

かぐや姫に名前を付けた三室戸忌部と、帝の宮中女官の中臣房子は当時宮廷祭祀を受け持っていたふたつの氏族です。忌部氏(のちの斎部氏)と中臣氏。古いのは忌部氏で徐福の渡来の時にやってきた氏族だと言われています。朝廷祭祀は先に忌部氏が就いていましたが、しだいに中臣氏が力を増し、伝統を変えていく傾向がみられました。両氏の争いは続き、807年には斎部広成による「古語拾遺」が書かれ、忌部氏の伝統と中臣氏への批判が記されています。

 

それから天人たちから姫を守るよう命じられたのが高野大国タカノノオオクニです。これは竹野タカノ姫が高野と漢字が変わって名字となり、大国は出雲の大国主です。海部氏と大国主の家は昔から婚姻関係があり、丹波王国と出雲王国を示しているようです。

 

不死の薬と富士山

物部の勢力の一部は蓬莱山を駿河国の富士山だとして「不死山」と名付けて崇拝していたという伝説があるそうです。もともと道教では不老不死の薬を求めます。それを燃やしたというこの物語は批判的でもありますね。

 

 

当時のことにこれほど詳しく、そして体制に批判的でありながら、このような物語としてまとめることのできる人は、地位や能力を含め限られてくると思います。斎木氏の推測では、かぐや姫の話は伊予部馬飼がまとめ、200年経って当たり障りのない時期に、彼の意志を継いだ子孫が発表したのではないかということです。実際この話は年代も作者も不詳であり、源氏物語の中では「物語の出て来はじめの祖おやなる『竹取の翁』」と書かれているほどの最古級の物語です。

 

Sorafullの考察

最後にかぐや姫自身について考えてみたいと思います。

物語の中で気になる表現がありました。かぐや姫のセリフに「昔の契りがあって、こちらの世界へ来ました」とあり、また月から迎えに来た王の言葉には「かぐや姫罪を犯したので、償いのためにこの汚い世界へ送った」とあります。

※天人たちはなんとも冷ややかに描かれていますが、これは記紀の中に描かれた天孫に対する体制批判なのかなと思います。天上の神たちはいつも唐突に自分たちの都合で地上を支配するので。

「契り」という言葉は、約束や男女が深い関係になるという意味と、前世の因縁というかなり重い響きの意味も含んでいます。安直に考えれば男性との禁じられた恋などが浮かびますが、そもそも月の世界の天人は人間のように思い悩むことがないわけですよね。なので罪を犯したのは地上の話と考えます。

そして月の女神であり、物部東征の時代の豊来入姫を重ねるとすれば、作者の伊予部馬飼の立場から見れば、物部豊王国の東征によって出雲も海部氏も敗北したわけですので、それを「月の女神の犯した罪」と言っているように思えてきます。ですが豊来入姫が大和を追われてからの孤独な逃亡生活や、伊勢での最期とその後に貶められた姿など、丹波の歴史に詳しい馬飼であれば理解していたでしょう。

この作者の物語作りのうまさは、過去に罪を犯したというかぐや姫が誰よりも高潔であり、帝の命令にさえ自分の信条を曲げず、そして何より人間に沸き起こる様々な感情こそ、この世に生きている素晴らしさなのだと訴えているところです。人間の弱さ脆さを味わい尽くしたものが、やがてすべての感情を愛として受容してゆく姿が崇高さをもって迫ってきます。

偽物でよしとする大勢の人たちと、それに真っ向から立ち向かうかぐや姫。そんな彼女の内側から輝く光は、人々の心を浄化します。帝でさえ、かぐや姫がいないのなら不死の薬など必要ないと言い切ります。永遠の命よりも愛する人の確かな存在こそが大切なのだと。

 

月の都と地上が交錯するファンタジックな世界観の中で、虚偽と真実というテーマを、美しくも潔いかぐや姫に託して描かれた物語が、日本最古の物語であることに感動を覚えます。そしてこれが単なる作り話ではなく、私たちの歴史の根幹に関わる可能性がとても高いということを、意識していかなければならないと思うのです。

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