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源流なび Sorafull

日本列島の誕生

太陽系の誕生は46億年前といわれています。

星も私たちも、太陽より以前の超新星爆発(恒星の終焉である大爆発)によってばら撒かれた元素を材料として、今存在しています。気の遠くなるような大いなる循環です。

原始の地球表面はマグマの海に覆われていましたが、40億年ほど前から表面温度が下がり始め、地表が形成されていきました。その後、海が現れたことで岩石の強度が低下し、割れ目からプレート境界へと発達。やがてプレートが動き始めます。

地球の表面は10数枚のプレートで隙間なく覆われており、大陸も海もすべてプレートの上に乗っています。

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プレートの動きに伴って陸地が衝突と合体を繰り返し、19億年前にはひとつの巨大な大陸を形成しました(超大陸)。それからも数億年毎に超大陸ができては分かれ、そして2億年前のパンゲア大陸が分かれていったものが今の世界です。これも通過点。変化しないものはありません。

 

現在の日本近辺のプレートを示してみました。最も大きいプレートである太平洋プレートを含む4つのプレートが接しているため、とても複雑な状況です。

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プレートには「大陸プレート」と「海洋プレート」があって、大陸プレートは陸地を乗せたもの、海洋プレートは海を乗せています。このふたつのプレートがぶつかると、重い海洋プレートが沈み込みます。海洋プレートはどんどん作られては海溝に沈み込んでいきますが、大陸プレートは浮かんだまま。

日本列島はユーラシアプレートと北アメリカプレートのふたつの大陸プレートに乗っています。海洋プレートである太平洋プレートとフィリピン海プレートは日本列島の方向へ沈み込んでいます。


2017年にNHKスペシャル「列島誕生~ジオ・ジャパン」が放映されました。地質学的発見が相次ぎ、日本列島形成の全体像が見えてきたようで、とても興味深い内容でした。番組ではCGをふんだんに使ってわかりやすくまとめてありましたが、文章でお伝えするのは難しいなと記事にするのを諦めていました。ですが古代の「朱(辰砂)」について考える時、この列島の成り立ちを省くわけにはいかないと思い、コンパクトにまとめてみました。番組とその関連本「激動の日本列島誕生の物語」に添って紹介します。一部、番組中の画像を使用させて頂きました。

※番組ではユーラシアプレートと北アメリカプレートを合わせて「大陸プレート」として表現しています。

 

列島誕生 GEO JAPAN

⑴大陸からの分離

3000万年前、ユーラシア大陸の東端に亀裂が走りました。亀裂はしだいに広がって、500万年後には海水が入り込みます。これが日本列島誕生の兆しです。

大陸の縁へりが引きちぎられていくという、非常に稀な現象が起こっていました。

原因は太平洋プレート。地球最大のプレートで、厚みは100㎞。この重いプレートが大陸の東端の海底に沈み込むことで、マントルの強い上昇流が起こり、プレートは西に進むのに、大陸の縁は東へちぎられていくという不思議な現象が起こったと考えられています。

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ですが、単純に現在の日本列島がそのままの形で離れていったのではありません。西日本と東日本の陸地は2本に分かれて、まるで観音扉を開けるように回転しながら大陸から離れていきました。

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日本海沿岸にみられる断崖絶壁の荒々しい風景は、こうした太古の激動をまさに語っているのですね。

 

⑵伊豆諸島の衝突

伊豆半島と伊豆諸島は大陸プレートではなく「フィリピン海プレート」に乗っています。

2500万年前には伊豆諸島は沖縄あたりに並んでいたのですが、フィリピン海プレートが太平洋プレートの沈み込みに引っ張られ、1500万年前には日本列島に近づいていました。先の3枚連続写真にも、下の方からワイパーのように上がってくるフィリピン海プレートのラインが見られます。

南方からやってきた伊豆諸島は、東西の日本列島の間の海峡に近づいたところで、北に一列に並んだ状態で止まりました(3枚目の写真)。そして今度はプレートが列島に向かって動き始めます。

伊豆諸島は海面下を含めると富士山級の海底火山です。それらが次々と西日本の東端に衝突。火山島の並んだ向きとプレートの進む方向がたまたま一致していたからです。

衝突によって櫛形山地、御坂山地、丹沢山地が生まれ、最後の衝突で伊豆半島ができました。今も伊豆諸島は年に4cm北上しているそうですよ。富士山の誕生も、この伊豆諸島の衝突による大量のマグマ発生に起因しています。また海溝が陸のすぐそばまで来たことでそこに深海ができ、相模湾駿河湾という豊かな海が生まれました。

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このような火山島の連続衝突は他に例がないといいます。

さらに衝突によって隆起した山から流れた大量の土砂が、東西に分かれていた日本列島の間に流れ込み、海峡を埋め、関東平野のもととなりました。その後1000万年かけて日本列島はひとつに繋がっていきます。

番組では言及されていませんが、西日本と東日本の間に位置するフォッサマグナ(古い地層の溝に新しい地層が溜まっている地質的境界)は、西日本側が伊豆諸島の衝突で、東日本側が隆起した山々から流れた土砂の堆積によってできた地帯ということなのかもしれません。

 

紀伊半島の巨大噴火

今でこそ国土の3分の2が山地ですが、太古の日本列島にはほとんど山はなく、平原と沼地が広がっていました。

1400万年前、地球史上最大規模のカルデラ噴火紀伊半島で起こります。この影響で世界の気温が10℃下がったと推定されています。

地下に溜まっていた膨大なマグマが、南北40㎞に及ぶ半円形の裂け目から一気に噴出し、内側の大地は陥没。この時のマグマが固まったものが、熊野地方にみられる巨大な一枚岩や巨石です。日本最大の古座川の一枚岩(高さ150m、幅800m)や那智の滝、神倉山など。巨石の場所を辿ると半円形に並んでいます。それら火口の跡が熊野の信仰の地となったのです。

噴火の後、紀伊半島の地下に残ったマグマが冷えて固まり、超巨大な花崗岩となりました。なんと神奈川県ほどの大きさの岩と推定されています。長径60㎞、厚さ20㎞。

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花崗岩は密度が低く、周りの岩より軽いため、時間とともに浮上してきます。1000万年以上かけて10㎞あまり上昇。同時に上の大地も持ち上げ、西日本一の山岳地帯ができました。

ところが、このことは紀伊半島だけでなく、同じ時期に西日本各地で起こっていたのです。紀伊半島で他に2ヶ所、さらに愛知、高知、愛媛、宮崎、鹿児島で次々とカルデラ噴火が起こり、その結果西日本に高い山々が生まれていきました。

なぜこのようなトンデモナイことが起こったかというと、⑴で見たように、日本列島のもとが大陸から東へ引き裂かれていった時代、フィリピン海プレートも東に引っ張られ、プレートに巨大な割れ目ができてしまったことに起因します。

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番組の画像に上書きしたもの。

割れ目からマグマが溢れだし、プレートは高温に。そして1400万年前に西日本の大地が、高温のフィリピン海プレートに衝突。地盤が急激に熱せられて大量のマグマが発生し、史上最大の巨大カルデラ噴火が西日本に多発したと考えられています。

番組では触れていませんが、この時、大和の山々にもその痕跡が残されました。蒲池明弘著「邪馬台国は朱の王国だった」によると、1500万年前の溶岩や火砕流の跡が畝傍山耳成山信貴山二上山に残されており、中でも最大の痕跡地が宇陀を中心とする東西28㎞、南北15㎞に広がる地域だそうです。火口の位置はわからないとのこと。

100万年のずれはありますが、紀伊半島カルデラ噴火の痕跡では。

 

⑷東日本の圧縮

先の地図にみられるように、東日本の現在の陸地は長く海底にありましたが、300万年前に東日本が一斉に隆起し始め、現在の山々ができたことがわかっています。

房総半島沖に、フィリピン海プレート、大陸プレート、太平洋プレートの3つのプレートが重なるところ(三重会合点)があり、300万年前にそこでフィリピン海プレートが進行方向を北西に変更したことが、隆起の原因と考えられています。下図矢印①⇒②

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フィリピン海プレートの方向転換によって、太平洋プレートの沈み込むラインがぐっと日本列島側に動き(矢印③)、東日本は圧縮されて盛り上がっていきました。この東西の圧縮が東日本の山々を形成していったそうです。もちろん、たった今も隆起し続けています。

プレートの方向転換という地球史上めったにないことが、またもや起こっていたのです。

 

まとめ

3000万年前、大陸から引きちぎられて列島の元はふたつに分裂して移動を始める。

1500万年前、伊豆の火山島が西日本東端に次々と衝突。

1400万年前、熱くなったフィリピン海プレートが西日本にぶつかり巨大カルデラ噴火が連発。

300万年前、東日本で東西圧縮。

このような踏んだり蹴ったり?の歴史が日本列島にあったとは驚きでした。ある意味奇跡ともいえるこれら偶然の重なりがなければ、この自然豊かな日本は生まれなかったのです。最初から山国ではなかったのですから。

海のそばに高い山々があるから雨が大量に降り、地上を豊かにし、川から栄養豊富な水が流れ出て海をも豊かにします。傾斜の強い山から急流となって流れる水は、地中のミネラルを溶かさず軟水となって、昆布などお出汁の旨味成分をたっぷり引き出してくれます。

また伊豆諸島が列島に衝突したことで、列島の桜と伊豆諸島の桜が交配してソメイヨシノが生まれました。日本の代名詞となった富士山と桜もこれらの奇跡から誕生しています。

八百万の神々も豊かな自然とともにあります。

日本は4つのプレートに隣接しているために、地震の脅威から逃れることのできない宿命を負っていますが、それも日本の多面的な豊かさと表裏一体だったのですね。

 

中央構造線について

さて、最後にもうひとつ。

今回の番組では触れられなかったのですが、日本には東西に走る中央構造線が存在します。この構造線上は鉱脈が多く、昔から金属を産出してきました。水銀鉱脈も同じです。この中央構造線ができた時期は、今回の話のさらに前へと遡ります。

1億年前、日本列島のもとがまだユーラシア大陸と離れていなかった時代に、巨大な横ずれが起こってできた大断層が中央構造線です。異なる地質の境界線です。

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Wikipediaより

赤い線が中央構造線として示されていますが、関東と九州地方では新しい地層に覆われているため確認はできません。海底も確認できません。

1億年前にイザナギプレート(すでに消滅した海洋プレート)が、大陸東縁で急速に沈み込んでいったことによって生じたズレと考えられています。

中央構造線より大陸側を内帯、太平洋側を外帯と呼びます。

オレンジ色の地帯はフォッサマグナです。伊豆諸島の衝突によるのでしょうか、中央構造線も北に向かって食い込んでいますね。

朱(辰砂、水銀朱)の採掘場所は中央構造線に沿ってあると言われます。

1400万年前の西日本のカルデラ噴火は外帯のところで起こっていますね。朱は熱水鉱床から採れますが、熱水鉱床とはマグマで熱せられた高温の熱水が、岩石の割れ目を通過する際に鉱物が凝集してできるそうです。つまり「火山」と「大地の裂け目」が必要なのです。中央構造線の近くで巨大カルデラ噴火が起こったことが、西日本の朱産地を生み出したと考えられそうです。