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源流なび Sorafull

古代史

朱の国⒂失われた記憶と椿の花

朱のその後 日本の朱の文化については記紀で触れていないせいか、古代史の中でもほとんど取り上げてこられませんでした。記紀は8世紀初めに編纂されましたが、6~7世紀に最大の朱産地だった宇陀の朱の記憶がこの短期間で失われてしまうでしょうか。都はま…

朱の国⒁遠敷明神とお水送り

福井県小浜市に鎮座する若狭国一宮、若狭彦神社は上下2社からなり、上社を若狭彦神社(小浜市龍前)、下社を若狭姫神社(小浜市遠敷)といいます。祭神はそれぞれ彦火火出見尊、豊玉姫命。両宮を合せて遠敷おにゅう大明神とも呼ばれます。 ※ホホデミ尊は徐…

朱の国⒀聖武天皇とお水取り

修二会の大松明 Wikipediaより 十一面観音を本尊とする東大寺の二月堂。毎年3月にお水取り(修二会しゅにえ)が行われます。十一面観音に自分たちの罪を懺悔し悔い改め、世界が平和になるよう祈る法要です。十一面悔過けかともいわれます。 お水取りの話に…

朱の国⑿十一面観音④室生寺

室生寺と龍穴 以前の記事「日本列島の誕生」で紹介しましたが、1400万年前に紀伊半島で起こった巨大噴火によって、火砕流が半島北部に流れ堆積したと推測され、特に最大の痕跡地が宇陀を中心とした東西28㎞、南北15㎞に広がる地域となります(室生火砕流堆積…

朱の国⑾十一面観音③長谷寺

祟りの霊木と磐座信仰 徳上上人に造像された長谷寺の十一面観音は、実は伝説をもった霊木から造られています。詳細は省きますが、今昔物語などいくつかの書物に記されている有名な霊木です。 継体天皇の頃(6世紀初め)に大洪水があり、近江高島から琵琶湖…

朱の国⑽十一面観音②信仰のはじまり

日本で最古の十一面観音像は、紀伊の那智山から出土した金銅十一面観音です。白鳳時代のものといわれています。那智の滝のすぐそば、飛瀧神社横の杉林で、仏具など数百点の遺品とともに見つかりました。埋められていたのは経塚信仰だろうと。飛瀧神社は熊野…

朱の国⑼十一面観音①起源

日本の弥生末期から古墳時代にかけて、中国では朱砂、水銀を追い求めていました。徐福が渡来したのも始皇帝が不老不死の仙薬を強く求めたから。 弥生後期の権力者の施朱に中国産の朱が使われ、弥生末期の三国志魏書倭人伝には、日本の山に丹(朱)がでること…

朱の国 ⑻古代出雲の医学

日本書紀に描かれたホムツワケ伝承をみてみましょう。 《 30歳になっても物言わぬホムツワケが、ある時クグイ(白鳥)が空を飛ぶのを見て「あれは何者か」と言われた。天皇は喜ばれ、クグイを捕えて献上せよと申され、鳥取造の祖が追いかけて出雲で捕らえた…

朱の国⑺沈黙の皇子、アジスキタカヒコとホムツワケ

生まれつき話すことのできない皇子がふたり、同時代に編纂された書物に記されています。要約します。 出雲国風土記、仁多郡、三津の郷 大神大穴持命(大国主)の御子、アジスキタカヒコは大人になっても話すことができなかった。大神が夢に祈願すると、翌朝…

朱の国⑹朱の女神、ニホツ姫とニウツ姫(後編)

各地のニホ 上記の場所は地質調査の結果すべて水銀含有を認め、朱砂産地であったといえるそうです。 また現在は滋賀、淡路、高知の地名は地図上では消えていました。 ニホ、ニウの分布をざっと見ただけでも、出雲連合国と関連のある地域が多いという印象です…

朱の国⑸朱の女神、ニホツ姫とニウツ姫(前編)

朱について意識し始めたのは、ほんの数年前のこと。古代史に興味がなければ、あまりご存知ない方が多いのではないでしょうか。 三国志魏書の倭人伝に3世紀前半の倭国の風土、風習を記した中で「朱丹を以ってその身体に塗る」「その山には丹あり」とあるもの…

朱の国⑷みずかねの魔力

みずかね 岩の割れ目に鮮やかな赤い朱の塊があるだけでも目を引きますが、その表面に銀色に輝くものがコロコロと噴き出している様子には古代の人たちも驚いたことでしょう。流れるように形を変える水銀の姿は、まるで生きもののようです。また比重が大きいた…

日曜美術館より

私事で失礼します。 今年に入ってから「朱の国」シリーズを書き始めていましたが、新型コロナウイルス感染症のニュースがしだいに増えてきたため、落ち着いてからにしようと投稿を控えておりました。ですが今なお先が見えない状況が続いていますので、いつま…

朱の国⑶ベンガラから水銀朱へ(後編)

今回は考古学や朱の成分分析の研究を参照していますので、いつも以上に細かい話になりそうです‥‥。 ざっと年代順にしてみましたが、それぞれ幅のあるものですので大まかに見て下さい。(出雲族の渡来は3500年前と伝承されています) 施朱以外で日本における…

朱の国⑵ベンガラから水銀朱へ(前編)

人はなぜ「赤」という色に惹かれるのでしょうか。惹かれるというよりも、実際には鼓動が高まるといったほうがいいのかもしれません。 赤色には警告音のような響きがあります。「血が流れる⇒生命の危険」を瞬時に察知するために、鼓動を上げて生命維持に向か…

朱の国⑴生きている赤

私 Sorafullが出雲伝承に出会ったきっかけのひとつは辰砂しんしゃ(水銀の原鉱石である硫化水銀)の存在でした。 友人が「賢者の石」とも呼ばれる辰砂に興味をもち、歴史好きというわけでもないのに、大和と辰砂の関連については何度も私に話をしてくれまし…

船木氏⑶伊雑宮と伊射波神社、ふたりの女神

出雲伝承が伝える伊勢への御巡幸を見てみましょう。 斎木氏と勝氏の伝承が多少違います。斎木氏はサホ姫が太陽の女神を伊勢へ避難させたとし、勝氏は大和姫です。斎木氏の著書の中には大和姫としている記述もあるので、ここでは大和姫の伝承を紹介します。 …

船木氏⑵大和姫と岩戸開き

大和姫の御巡幸 日本書紀では崇神天皇の時、宮中にお祀りした天照大神の勢いを畏れ、宮中から大和の笠縫村へ遷し、娘の豊鋤入姫に祀らせたとあります。御神宝の八咫鏡ですね。その後垂仁天皇の娘、大和(倭)姫が受け継いで、天照大神の鎮座地を探しながら伊…

船木氏⑴朱砂と製鉄と

伊勢と淡路島を結ぶ「太陽の道」に関わっていると思われる、船木氏の足跡を辿ります。まずは文献に記されたところから。 古事記で船木氏と関連のあるところを取り上げると、 ①神武天皇の皇子、神八井耳命は伊勢の船木の直らの祖。とあり、多氏と同祖となる神…

五斗長垣内遺跡と舟木遺跡

地名というのは先人からの貴重な遺産。どのような地形、性質だったのかだけでなく宗教、職種、誰が関わっていたのか等々、多くの情報を未来へ伝え得るものですが、一旦変更されるとそれらの情報とともにあっけなく失われてしまいます。 国内の地名残存率を見…

太陽の道⑵松帆神社、伊弉諾神宮

ところで淡路島の伊勢久留麻神社は、伊勢の斎宮跡と舟木石上神社を結ぶとされる太陽の道(北緯34度32分)から僅かにずれていて(北緯34度31分)、実際には久留麻神社の真北1㎞に位置する松帆神社が太陽の道にぴったりと重なるんです。 創建が1399年なので古…

太陽の道⑴伊勢久留麻神社とイザナギ大神の道

淡路島へ行ってきました。 前々から気になっていた五斗長垣内ごっさかいと遺跡と舟木遺跡を目指します。1~3世紀の鉄器工房が現れたというかなり興味深い場所です。 その前に、前回記事の伊勢久留麻神社が近かったので、先にそちらを回ってみました。 東向…

オオタタネコと美具久留御魂神社

中西・秋津遺跡 先日、弥生時代前期最大の水田跡が見つかったとの報道がありました。奈良県御所市の中西・秋津遺跡です。 2009年から調査が始まっていたようで、当初は古墳時代前期(4世紀前後)最大級の祭祀集落跡として発表されました。当時の中心地であ…

弥彦神社と伊夜比咩神社

今回は頂いたコメントの紹介をさせて頂きます。 御所市の「くじら」 第1次物部東征で物部軍が熊野からヤマトに向けて侵攻する際に、記紀では土着の豪族たちと戦う場面が幾度も描かれていますが、出雲伝承では戦いはなかったと言われます。 記紀は物部軍が勝…

会稽東治の重み

会稽東治 ⇒ 東冶 三国志の各版本には、倭の位置を「その道里を計るに、当まさに会稽東治の東に在るべし」となっていますが、後漢書では「会稽東冶の東」と改定されています。その後の隋書、梁書は「会稽の東」、晋書は「会稽東冶の東」となっていて、三国志…

景初二年・ヒミコの決断

三国志の倭人伝には、邪馬壹国の女王が魏に初めて使者を送ったのは、景初二年と記されています。ところが後に景初三年の間違いとされ、今も一般的な見方となっているようです。 江戸時代以降、景初二年(238年)というのは魏と遼東の公孫淵が戦争中であるた…

東鯷人のゆくえ

漢の時代の歴史書である漢書と後漢書には、倭人と東鯷人について次のように書かれています。 漢書地理志、呉地「会稽海外、東鯷人有り、分かれて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」 漢書地理志、燕地「楽浪海中、倭人有り、分かれて百余国を為す…

委面・異面・倭面土

前回の記事で、漢書の「楽浪海中倭人在り」に対して代々付けられた注を紹介しました。三国志の編者、陳寿の参照した漢書には、魏の如淳が付けた「墨の如く委面(入墨した顔)して、帯方東南万里に在り」という注が入っていたことになります。 陳寿は東夷伝序…

邪馬壹国から邪馬臺国へ⑵壹、委、倭

突然ですが、コンピューターは2進法の原理で成り立っていて、電気信号の on/off を1と0だけで使い分け、すべての情報を表現しているらしいです。詳しいことはわかりませんが、まるで陰陽の二元的世界の象徴みたいだなぁと思います。Yes/No、高/低、光/影…

邪馬壹国から邪馬臺国へ⑴

倭人の源流を探る中で、前回は古田武彦氏の書籍を参照しましたが、もうひとつ、非常に面白い古田説があります。 「三国志魏書の倭人伝に書かれているのは邪馬臺(台)国ではなく、邪馬壹国ヤマイコク、ヤマイッコクだ」 というものです。この説の存在は以前か…