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源流なび Sorafull

DNAが語るホモサピエンスの旅

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3000年前から中国の国史に記された「倭人」への興味は尽きませんが、ここでいったん古代史から離れ、倭人を含むであろう縄文人の源流を遺伝子から探ってみたいと思います。そもそも日本列島に人が上陸したのはいつ頃、どんな経緯だったのでしょう。

 

DNAの遥かな旅路

これまで古代人の人骨などからDNAを調べる際はミトコンドリアのDNAからの情報であり、母系の遺伝経路を辿っていました。ところが昨年の2016年秋に神澤秀明氏が核DNAの一部解読に成功し、両親の祖先からの情報を得られることができたのです。まだ始まったばかりの研究なので、福島県にある三貫地貝塚縄文人から得られたものしか発表されていませんが、今後全国的に行われていくと、日本列島へやって来た人たちの流れが見えてくるでしょう。楽しみです。

この発表でわかったことは、縄文人アイヌと最も近く、次に沖縄、そしてその他の日本列島人(ヤマトと仮に言う)という順になっていました。

現代のヤマトは縄文人の遺伝子を15%ほど受け継いでいるそうです。また、縄文人は他のアジアの人たちとは関係性がなく孤立しています。それはどういうことでしょうか。

 

まずは縄文人が現れる土台となった、ホモサピエンスの源流からお話したいと思います。

 ミトコンドリア・イブという言葉、ご存知の方も多いと思いますが、どこか魅惑的な響きがありますよね。すべての人の究極の母というイメージが伴うのかもしれません。でもちょっと違うんです。

細胞の中にあるミトコンドリアのDNAは母親から受け継ぐもので、男性も受け取りますが子孫に伝えることはできません。このミトコンドリアDNAを解析すると人類の母方の祖先をさかのぼることができ、結果20万年前の1人の女性に行き着くというものです。ただし全員の祖先が1人の女性に繋がるという意味ではありません。それまでいた他の種が途絶え、20万年前に現れた私たちの祖先、ホモサピエンスがアフリカを出て世界に散らばり今に至る、集団の由来としてのミトコンドリア・イブなのです。

ところがその後の研究で、4万年前のネアンデルタール人核DNAを解析した結果、アフリカ人を除いたすべての人類はネアンデルタール人からDNAを数%受け継いでいるということがわかりました。核DNAは母方だけでなく両親以前の大量の情報が含まれています。

アフリカを出たホモサピエンスネアンデルタール人は共存し、子孫を残していたのです。それによってホモサピエンスは免疫力が高まったそうです。さらにメラネシア人(パプアニューギニアなど太平洋の島々)はデニソワ人からDNAを数%受け継ぎ、高地に適応したチベット人の遺伝子にもデニソワ人の影響がみられ、中国南部やイヌイットにもその可能性がありそうだと報告されています。

デニソワとはシベリアにある洞窟の名前で、そこから2008年に歯と手の骨の化石が見つかり、核DNAの解析により新たな人類が発見されました。ホモサピエンスの祖先とは80万年ほど前に分岐し、その後ネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したのではないかといわれています。

ざっくりまとめると、数10万年前にアフリカを出て中東やヨーロッパへと移動したグループはネアンデルタール人となり、アジア内陸部へ移動したグループはデニソワ人になった。その後およそ8万年前にアフリカを出たホモサピエンスはまずネアンデルタール人と交わり、そこからアジアへ移動した一部がデニソワ人と交わった。そして4万年ほど前にはホモサピエンスだけが生き残ったということになります。ネアンデルタール人とデニソワ人が絶滅した理由はわかっていません。インドネシアで発見された謎の小さなフローレス原人は5~6万年ほど前に姿を消しています。ちょうどホモサピエンスが島にやって来た頃と重なります。闘争の可能性がないとは言い切れませんが、その証拠もありません

 

次に、ホモサピエンスの出アフリカについて。

ここはスティーブン・オッペンハイマー氏の説を参照します。氏は遺伝子系統図や考古学的証拠、そして太古の気象学に基づいてホモサピエンスの出アフリカやその後の大移動の契機となった出来事や可能性について大変細やかな調査をされています。(ネアンデルタール人やデニソワ人との混血が発表される直前の説なので、あくまで混血はなかったとして論じられています)

 

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19~13万年前、氷河期の寒冷化によってサバンナが縮小し、ホモサピエンス初の出アフリカ集団は北ルート(エジプトからレバントへ)を通って成功するも、9万年前の厳しい氷期の到来で全滅。

12.5万年前から間氷期温暖湿潤化。アフリカに残ったホモサピエンスはそのまま留まり続けることとなる。紅海西岸で海岸採集と狩猟によって生活していた様子あり。

8.5万年前、氷河期となり海面が一気に80m下降、塩分高濃度となって海産物が減少。向かいのアラビア半島南部は湿潤なモンスーン気候のため対岸へ渡る。南回りの出アフリカに成功。この集団が私たちの祖先です。

その後、南アラビア沿岸を移動していくのですが、このアラビア海沿岸辺りでふたつの集団ができ、ひとつはインドから東方へ向かいます。しかし7.4万年前インドネシア、トバ火山の超巨大噴火により、東インドまでが壊滅的な被害を受けます。この災害が遺伝子系統を複雑にしています。この後6.5万年前の海面が最も低い時期に海を渡って、スンダランドからオーストラリアへ上陸したグループもあります。

5万年前の温暖化によってアラビア砂漠が緑化し、アラビア湾から西方へ向かう集団が現れ、レバントやヨーロッパへと移動します。

 

アフリカを出たホモサピエンスは南回りでアラビア海周辺に到り、そこで子孫を増やしながらインド洋沿岸方面とヨーロッパ方面へと大きくふたてに分かれていったようです。縄文人のDNAはアフリカを出て早期に枝分かれしているので、海岸採集をしながら早々とインド洋沿岸からスンダランドを抜けて、東アジア沿岸を北上し日本列島へと向かった可能性があります。(4万年ほど前には上陸の痕跡がみられます)この移動がかなり早期だったために、遺伝子的に他のアジア人と関係性がみられないのです。ただし現代のヤマト人は中国や東南アジア人のほうが遺伝子的には近いので、縄文人がのちに彼らと融合した影響が強いということになります。

 

さて、私たちホモサピエンスは誕生以来、様々なチャンスをものにしてアフリカから世界中へと広がっていきました。氷期を生き残るにはネアンデルタール人の遺伝子が有効であったかもしれません。自然の猛威、他の種族との闘争、そういった危険を乗り越えた末の繁栄といえます。

ヒトがチンパンジーと分かれたのが6~700万年前。以来猿人、原人、旧人、新人と進化しながら、つい数万年前まではいくつもの種が共存していました。

なんだかおかしいと思いませんか?

気がつけばこの短期間に、ヒト属はホモサピエンスのみ!となっていたのです。

幾多もの種の中でホモサピエンスだけが生き残ったことを、単純に喜ばしい奇跡とみていいのでしょうか。それってつまり多様性を失い、遺伝子が極めて似通っている、均一(ホモ)なものだけになったということです。私たちは見た目は様々ですが、それは環境に適応しただけであって表面的なこと。多様性を保っていれば異種混合する余地がありました。たとえある種が途絶えても他の種が生き残りました。けれどここからは私たちだけなのです。もしかして、すでに絶滅危惧種?!

これからも氷河期はやってきます。彗星の衝突、火山の大噴火、新種のウイルスの猛威。地球上では常に繰り返されていることです。たとえ最後のヒト、ホモサピエンスが途絶えても、地球は変わらず回り続けているのでしょうね‥‥

と、世を儚んでも仕方ありません。それよりも、このソラフルの体の中にネアンデルタール人の逞しいDNAが生きていることを歓びたいと思います!

 ※ ホモ・サピエンスラテン語で、ホモは人間、サピエンスは知恵です。

 

参考文献

「人類の足跡10万年全史」スティーブン・オッペンハイマー