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源流なび Sorafull

日本列島を目指した人たちがいた⑴ 埋もれていた海の民の先進文化が常識を変える

新宿駅の北側に新宿百人町遺跡があります。住所を遺跡名にしただけ、なのに不思議と味わいがありますね。

新宿の初期の住人は2.5万年前の旧石器人。持ち物を見ると北方からの移住者のようです。彼らは焼いた石の上でお肉を蒸し焼きにして食べるという手の込んだ調理をしています。日本橋にはナウマン象の化石が。・・・・と聞けばお肉を食べ放題だったのかと思いますが、当時は氷河期ですので食材を得るのは簡単なことではなかったでしょう。

今や新宿は高層ビルに歓楽街。日々繰り広げられる賑やかな饗宴に、街の下に眠る先人達は何を思っているでしょうか。

 

ところ変わって鹿児島県種子島、3.1万年前の立切遺跡です。こちらでも石蒸し焼きの跡が残っています。

鹿児島県南さつま市にある栫ノ原(かこいのはら)遺跡(1.2万年前)にはさらに燻製加工設備もあって、人間の食への好奇心、探究心は原初から溢れていたようです。

新宿と鹿児島の遺跡に見られる石蒸し焼きの調理法は、互いに関連があるからなのかどうかはわかりません。前者はシベリアから南下してきた人たち、後者はスンダランドから北上してきた人たちだろうといわれています。

縄文人のルーツは核DNA解析の進展を待つほかないのですが、これまでの研究から日本列島にやって来た人々によって伝わった文化の流れは見えてきます。

 

世界の古代人を魅了した黒曜石

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日本列島へ現生人類が現れるのは4万年前頃からで、3万年ほど前には黒曜石を扱う人々の足跡が残されています。伊豆半島沖60㎞南にある神津島は質のいい黒曜石を大量に産出したらしく、ここから運ばれたものが本州中央部の広範囲に残されています。まさに宝島!

東京武蔵野台地から3.2万年前のものが、小金井市からは2万年前のものが出ており、縄文中期になっても各地へ運ばれています。神津島と本州は最寒冷期でも30㎞以上の海峡があり、船以外での運搬が不可能です。ということはこの時期から航海技術を持っていたことになりますね。

他にも佐賀の黒曜石が沖縄や朝鮮半島で、隠岐男鹿半島産はロシア沿海州で、北海道のものはサハリンやアムール川近辺で見つかっています。氷期で陸橋ができていた場合もあるのですべてが船での運搬ということではありませんが、交易があったことは確かです。

黒潮圏の考古学研究者である小田静夫氏によると、神津島の黒曜石を搬出し交易していたのは、スンダランドから黒潮海域を北上してきた海洋航海民族だとしています。確かにこの時期に明らかに航海術を持っていたのは、スンダランドからサフルランドへ渡海した人々の系列ですよね。とはいえこれほどの距離を簡素な船で渡ってこられるのでしょうか。

※ 黒曜石は酸性の火山から噴出したマグマが急冷してできるガラス質の石なので、火山国日本では産出量が高いのです。石刃として形成しやすく、非常に鋭利なため重宝されました。またイスラム教の聖地、メッカにあるカアバ神殿の御神体は黒曜石(Obsidian)です。Wikipediaによると、もともとカアバ神殿はアラビア人の多神教の神殿であったのをイスラム教徒が乗っ取り、神々の偶像はすべて排除されるもこの黒曜石だけは壁に埋め込まれ、今も巡礼で石に触れると幸運に恵まれるとされているそうです。多神教の時代には最高神の2番手である月の女神の御神体でした。霊的なものを発する石でもあるようですね。ちなみにソラフルの父は信州霧ヶ峰を旅した時に手に入れた大きな黒曜石を大事に飾っていました。ソラフルの幼心にもその姿は神秘的なものとして映り、先日父が逝って実家の片付けをしながら石を探してみたのですが見当たりません。よけいに心に残る石となりました。

 

黒曜石交易をしていたかもしれないスンダランドの海の民が日本とどのように関わっているのか、NHKスペシャル「日本人はるかな旅2」を参照に、遺跡から見ていきたいと思います。

以前は旧石器~縄文時代といえば東日本の遺跡が圧倒的に多く、特に90年代における三内丸山遺跡(5500年前)の発掘は東日本優勢の感を強めました。ところがその直後から南九州でも旧石器以降の遺跡が次々と見つかり、実は東日本よりも早期に文化が芽生えたことがわかってきたのです。

先述の鹿児島県栫ノ原遺跡は1.2万年前の夏用の定住集落だったようですが、調理設備の他にも丸木舟を作るための世界最古の丸ノミ石斧が見つかっています。この丸ノミ石斧はのちに他地域でも現れますが、栫ノ原型は独特で南九州から沖縄にかけてだけ存在するため、そこが海上交流圏であったことがわかります。

また沖縄で出土した1.8万年前の9体の人骨(港川人)の形態から、本土縄文人とは違い、ジャワ島にいたワジャク人と共通性がみられるといいます。今年、石垣島白保竿根田原洞穴遺跡で発見された全身骨格の人骨が、国内最古とされる2.7万年前のものだと判明しましたが、先に発見されていた20体近くの人骨のうち、2~1万年前のもののミトコンドリアDNAの解析をしたところ、南方由来だったことがわかりました。

 

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2万年前からの温暖化によってスンダランドの水没が始まり、海を渡って移住する人も増えたことでしょう。フィリピンにはドゥマガット=海から来た人たちと呼ばれる民族もいて、そのDNAはスンダランドから来たことを示しています。もちろんフィリピンから沖縄までは千kmもありますし、実際に黒潮ハイウェイが今のように日本近辺を流れるのは1.2万年前頃からです。それまでに渡来した人々の場合は、まだ氷期で大陸と台湾が繋がっていたので、スンダランドから陸伝いに北上し、台湾あたりから島伝いに沖縄へと移動したのかもしれません。

 

鹿児島県霧島市にある上野原遺跡桜島霧島連峰を眺める高台にあり、なんと9500年前に現れた日本初のマイホームタウンです。広さは46軒の竪穴式住居を含む15000㎡。

暖かい黒潮が温暖化とともに日本列島に近づき始めると、太平洋側はより暖かくなっていきました。南九州では豊かな森が現れ、生のまま食べられる木の実も豊富になって、住みよい村が誕生したのです。

1.2万年前からこの地方でみられる縄目文様ではない貝殻文様の土器は3千年以上にわたって作られました。丸太船を作るための丸ノミ石斧を改良して、木を伐採するための磨製石斧へと道具も進化しました。さらに上野原タウンでは7500年前に初の壺型土器が作られています。これまで壺型土器は弥生時代になって稲籾の保存用の壺として現れたと言われてきましたが、ここではそれより5000年も前から雑穀類の貯蔵に使われていたのです。他にも朱を施したピアスや西日本最古の土偶も出ていて、何か儀式的なことが行われていた可能性も。

こんな先進的な文化をもった遺跡がなぜ長く隠れることになったのか。それは6300年前に起きた海底火山、鬼界カルデラの大噴火によってすべてが灰の下深くに埋もれてしまったからです。規模は1万年に1度のレベル、火山灰は東北まで及びました。けれど幸いなことに3度の噴火の間に南九州から逃げることのできた人たちがいたらしく、彼ら独自の磨製石斧や燻製設備などが太平洋沿岸で出土しています。まるで黒潮の流れに沿うように、高知、和歌山、三重、愛知、静岡、関東へと伝わっていました。2000年に東京多摩ニュータウンに出現した関東最大の縄文遺跡(4500年前)では、250本の磨製石斧が見つかっています。これらはすべて南九州由来のものだとか。黒潮の恩恵は計り知れません。

関東で成熟期を迎える縄文文化の陰に、南九州から逃れてきた人々との融合があったのかもしれませんね。

黒潮方面だけでなく、陸路で九州中部から北部へ、また対馬海流に乗って北九州沿岸から日本海側へ避難した人たちもいたようです。

※ 昨年秋の神戸大学の発表によると、この鬼界カルデラのマグマが現在活発になっていることから、噴火予測はできないものの、いつ起こってもおかしくないとしています。もし噴火すれば死者1億人と想定されています。この規模の凄さがわかりますね・・・・

日本は火山の国なので、昔の人も噴火の怖さは知っていたはず。それでも火山付近の遺跡が多いのはなぜか。それは火山による恵みがとても大きかったからです。火山の麓には湧き水が豊富、川の水量も豊か、火山灰による土壌は有機物が多くて肥沃、温泉も湧く、噴火の爆発によって土砂が流れ平野ができる。このような命を育む豊かさと、一瞬で命を奪う災害との狭間で、火の神、山の神に古代の人々は祈りを捧げていたのかもしれません。縄文中期の土器を見るとその力強さと美しさに息をのむことがありますが、なにか圧倒的な力に溢れているのです。縄目文様の意味や解釈を超えた根源的な力です。火山や大海原への畏敬、さらにはそれら自然界と一体となって湧き出る生命力なのでしょうか。

のちの弥生土器からはそういった力は消えています。

 

8万年ほど前にアフリカを出て海岸採集をしながら東進し、東南アジアで漁労民として暮らしていた人々がいました。やがて船を作り海へと挑んでいった海の民も存在したことは確かなようです。その一部が沖縄や南九州へ到着し、南方文化を日本へ伝えたという流れは描けてきました。

ただし3万年前から伊豆半島沖などで黒曜石を交易していたのが同じ系統の人々なのかどうかの確たる証拠はありません。他に航海術をもった人々がこの時期に日本近辺にいたかどうか、そうやって絞っていくしかないようです。

次回はシベリアから北回りで日本列島にやって来たクールな文化を紹介します。

 

 

参照文献

「日本人はるかな旅2」 NHKスペシャル日本人プロジェクト編

「『多摩考古』45.黒曜石分析から解明された新・海上の道」小田静夫