SOMoSOMo

源流なび Sorafull

朱の国⑺沈黙の皇子、アジスキタカヒコとホムツワケ

 

 

f:id:sorafull:20200413153500j:plain

 

生まれつき話すことのできない皇子がふたり、同時代に編纂された書物に記されています。要約します。

 

出雲国風土記仁多郡、三津の郷

神大穴持命大国主の御子、アジスキタカヒコは大人になっても話すことができなかった。大神が夢に祈願すると、翌朝御子は「御津みつ」と言った。そして外へ出て水が湧き出る泉を指し、その水を自ら体に浴びて浄められた。そのようなわけで、その泉の水は国造が神事前の禊ぎの水として使い始めた。今も妊婦はその村の稲を食べない。

*三津は現・奥出雲町三沢。三津池と呼ばれる泉がある。

*出雲伝承でアジスキタカヒコは高鴨家始祖。大国主(八千矛王)亡き後、クシヒカタを頼って大和葛城へ移住。

 

古事記垂仁天皇

后のサホ姫が実兄との愛を貫いた末、火の中で産み落とした御子ホムツワケを遺し、兄とともに命を絶った。ホムツワケ(火内の意)は生まれつき物言わぬ御子だった。天皇はいろいろなことを試したが効果はなかった。ある日夢に出雲の大神が現れ、我が宮を建てよと告げたので、御子を出雲へ向かわせた。曙立王と菟上王をお伴につけた。奈良山を越える道も大坂山を越える道にも、足の悪い人や目の見えない人がいるだろうからと、紀伊に抜ける道を選んだ。一行は土地土地に品遅部ホムジベを定めていった。出雲に着いて大神を拝み祀ると、御子は話し始めた。その後の御子の話はわからず、天皇の後継者になったわけでもない。

*出雲伝承では垂仁天皇は物部イクメ。サホ姫は出雲の登美家出身。

*曙立王と菟上王は出雲王国を倒した将軍。伊勢の佐那神社(多気町の丹生神社近く)と四日市の丹生川沿いの菟上耳利神社に祀られている。曙立王は伊勢の品遅部の祖でもある。

*品遅部とはホムツワケの養育集団のこととされるが、本来は鉱山の職人ではないか。

*奈良、大坂への道には鉱毒がみられ、同じ朱産地の紀伊は大和政権の力が及んでいなかったため、ここでは区別されたのか。あえて京都に抜ける近道を選ばなかったところに意図がありそう。

 

尾張国風土記逸文、丹羽郡、吾縵あづらの郷

ホムツワケは7歳になっても言葉を発しなかった。垂仁天皇の后の夢にミカツ姫が現れ、私を祀れば御子は話すようになると告げた。神を祀る場所を占うために美濃国の花鹿山に使者を派遣し、吾縵郷とでたので社を建てて祀った。

*出雲伝承ではサホ姫は亡くなっておらず、御子を連れて尾張へ移ったという。

美濃国花鹿山は現・揖斐川町の谷汲山。麓の花長上神社にはミカツ姫が、花長下神社には赤衾伊農意保須美比古佐和気命が祀られ、夫婦神ともいわれている。揖斐川上流は朱砂地帯。

*吾縵郷は現・愛知県一宮市。阿豆良神社にミカツ姫が祀られている。

 

出雲国風土記の「妊婦はその村の稲を食べない」という表現は、親から子へ及ぶ鉱毒を指していると思われます。民俗学者谷川健一著「日本の地名」の中で、アジスキタカヒコと同じ話が三重県四日市市の村にもみられるとあります。そこは江戸から明治にかけての水銀鉱山でした。江戸時代の地誌には「神田を耕す者の子は必ず唖になる」とあり、辰砂や自然水銀が出たとの記録もあることから、谷沢氏は水銀中毒による言語障害を指摘されています。

 

古事記に描かれた火の中に生まれたホムツワケとは、サホ姫の業(業火)を息子に背負わせたかのように描かれていますが、鉱毒ということを頭に置くと「精錬」のイメージも湧いてきます。一方で出雲王国を滅ぼした将軍たちも登場させ、垂仁による物部東征によって祟りが息子を襲い、出雲大神によって許される物語とも読みとれます。

古事記のこの一連の話は意味深な表現が満載です。そのひとつに曙立王が御子のお伴に自分がふさわしいかどうか、呪術を使って占う場面があります。鳥を落として死なせ、また生き返らせ、植物を枯らせては生き返らせ。これはまるで水銀による生命の蘇り、再生を意味しているような。

 

尾張国風土記のミカツ姫とその夫神、赤衾伊農意保須美比古佐和気命とは何者でしょうか。

出雲国風土記の中で赤衾伊農意保須美比古佐和気命はオミズヌの御子とあり、后はミカツ姫だと。出雲伝承王家系図でも「オミズヌー佐和気ー八千矛大国主」と示されています。

一方、アジスキタカヒコの后はミカジ姫と記され、多久の村でタキツ彦を生んだとあります。ミカツとミカジ、一字違いですが、出雲の多久神社のうち一社ではミカツ姫を祀っています。

風土記によれば佐和気命はアジスキタカヒコの祖父、ミカツ姫は祖母ということになります。ミカツ姫とミカジ姫を同一神とする見方もあるようですが、母系で繋がっている可能性が高そうです。(以前の記事では同一神として紹介しました)

つまりホムツワケはアジスキタカヒコの祖母に助けられたのです。これら3つの話の作者たちの中には、もととなる共通のイメージがあったと思われます。

※ミカジ姫が多久でタキツ彦を生んだ話の結びには、日照りが続くときにタキツ彦の御霊に祈ると必ず雨を降らせてくれるとあります。なぜか水の神になっていますね。まるで朱の女神が水の神へと替えられたように。

 

もうひとつ鉱毒と思われる話があります。古事記ではヤマトタケル伊吹山での神との対決の後、疲れ果てながら揖斐川沿いに四日市から鈴鹿へ下ってきます。途中、三重の村で「私の足は三重のまがりの如くで、ひどく疲れ果てた」と言ったのでそこを三重という、とあります。谷川氏はこの村を先ほどの水銀の出た村と推定されています。

また播磨国風土記の賀毛郡の三重の里では、女性が土地の筍を食べると足が三重に折れ曲がったので、三重といったとあります。この隣には品遅部の村があり、鉱山の存在を伺わせます。しかも品遅部の村の起こりは、応神天皇の世に品遅部の祖が2羽の鴨を射たことで土地を賜ったとあります。討たれたのは出雲の賀茂でしょう。

もうひとつ、伝承は特にありませんが国内トップクラスの朱産地、豊後国丹生の郷から南へ、大野川を遡ったところに三重の村がありました。

 

鉱毒について

上記のように書物には言語障害、失明、足の変形、といった症状が示されていますが、実際に鉱毒としてこれらの症状はあり得るのでしょうか。

まず20世紀に起きた公害を見てみると、富山県で発生したイタイイタイ病カドミウムの暴露によって骨量が低下し、骨折しやすくなるため骨の変形が起こったようです。名前の通り痛みが激しかったといいます。鉱山から排出されたカドミウムが川を通じて農地に流れ込んだのが原因とされています。16世紀末に同地で鉱山開発(銅、銀、鉛など)が始まり、小規模だったけれど周辺の農業や飲料水に被害が出たという記録があるそうです。

熊本県で発生した水俣病メチル水銀(毒性の強い有機水銀)が原因でした。神経毒性が強く、四肢感覚麻痺による歩行障害、視野狭窄、運動失調としての言語障害などが現れます。妊婦が摂取すると言語障害の子が生まれることもあると。ただし水俣病は化学工場からの排水で川、海が汚染され、魚介類の中で濃縮されたものを人が摂取したことが原因とされています。自然界の中で無機水銀がメチル化することもあるらしく、その場合も魚から摂取することがほとんどだそうです。化学的に手を加えていないのなら、農作物を食べることでは起こらないように思えますが。

古代は無機水銀である朱砂、自然水銀の採取だったので、毒性は強くはなく、水銀蒸気を吸うことによる弊害がほとんどだと思われます。蒸気が慢性的に体内に入ると貧血、肝臓や腎臓障害、更に進行すると四肢の知覚喪失、精神機能低下が起こるそうです。松田壽男氏は骨ガラミ(骨うずき)のような症状が出ると記しています。足の変形より痛みのよう。

尾畑喜一郎著「古代文学序説」には水銀蒸気を長期間吸入すると、最後は咽喉の粘膜を侵されまともな物言いが出来なくなると云われている、と記しています。

もうひとつ、目の障害は鍛冶職人の職業病でした。片目をつぶって火を見ることや、鉄を打つ時に火の粉を受けて失明することがあると。先述の四日市市の村には、天目一箇神アメノマヒトツノカミを祖とする氏族が住んでいました。金属精錬における目一つの神さまです。

 

水銀の抽出が始まる前の、朱砂を採取するだけの時代に、無機水銀が土壌に含まれているからといって農作物から人体に影響するのかどうか、はっきりと示す資料には出会えませんでした。

けれど長く水銀鉱山に従事している者や、金属精錬によって被害が発生していたことは考えられ、それらを伝承するために説話の形となって残されたのではないでしょうか。

谷川氏はまた、出雲国風土記仁多郡を草稿した主帳ふみひとは品遅部であることを指摘し、仁多郡では良質の鉄を産するとあり、砂鉄を採取し精錬する労働者たちの間でアジスキタカヒコの話は伝承された可能性があるとし、水銀による鉱毒とは区別しています。のちにホムツワケの伝説が出雲へ渡り、主人公の名がアジスキタカヒコに代わったと見るべきであると。

 

次回へ続きます。