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源流なび Sorafull

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

第1次物部東征~熊野権現vs名草戸畔

古事記による初代神武天皇の東征ルート 出雲伝承による第1次物部東征ルート 徐福の北九州への渡来後、次男ヒコホホデミとその子孫たちによって物部王国が築かれました。ヒコナギサタケ(ウガヤフキアエズ)王の御子、五瀬イツセはヤマトへの遷都のチャンス…

欠史7代とナガスネ彦とアラハバキ

ヤマトの大王の地位を失ったフトニ王は吉備国王となったのち、大山だいせんの西北にある孝霊山の麓の宮(現高杉神社)で晩年を過ごします。この孝霊山という名はフトニ王の諡いみな(死後の贈り名)です。ヤマトから細姫と福姫が一緒に来ましたが、フトニ王…

和国大乱~日矛の渡来と吉備王国

中国の史書にみられる「倭」という漢字は蔑字なので、ここでは和と書きますが、史書に記された文章の紹介ではそのまま倭という字を使います。卑弥呼なども同様とします。 三国志魏書の倭人伝によると、 その国(倭国)も、もとは男を王としていた。男が王で…

神在月の旅⑶ 粟嶋神社と美保神社~父娘を結ぶ海

風土記の頃の中海と周辺 江戸時代中頃の埋め立てによって粟島は陸続きとなりました。現在の山陰本線もかつては海の中ですね。弓ヶ浜という名前は「夜見島」から変化したのでしょうか。 米子水鳥公園から粟島を見ています。とても小さな島です。だから粟島? …

神在月の旅⑵ 古代王宮・神魂神社と森の中の王墓

パワースポットとして神社も人気ですが、太古のパワースポットは人工物のないところだったはず。磐座や神木すらないただの空間のこともあったでしょう。しだいに岩や木を神の降りる場、依り代として祀り、聖域に結界を張るためにしめ縄を用いたり鳥居のよう…

神在月の旅⑴ 出雲大社とかごめ歌

出雲大社では今、神在祭の真っ只中です。 でもこの神在祭と聞くたびにひっかかるものがありました。どうして神々が集うのが11月だけなんだろう。だって古代出雲王国時代には、各国の代表たちが集うのは春と秋の大祭なのだから、年に2度のはず。なのになぜ秋…