SOMoSOMo

源流なび Sorafull

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

会稽東治の重み

会稽東治 ⇒ 東冶 三国志の各版本には、倭の位置を「その道里を計るに、当まさに会稽東治の東に在るべし」となっていますが、後漢書では「会稽東冶の東」と改定されています。その後の隋書、梁書は「会稽の東」、晋書は「会稽東冶の東」となっていて、三国志…

景初二年・ヒミコの決断

三国志の倭人伝には、邪馬壹国の女王が魏に初めて使者を送ったのは、景初二年と記されています。ところが後に景初三年の間違いとされ、今も一般的な見方となっているようです。 江戸時代以降、景初二年(238年)というのは魏と遼東の公孫淵が戦争中であるた…

東鯷人のゆくえ

漢の時代の歴史書である漢書と後漢書には、倭人と東鯷人について次のように書かれています。 漢書地理志、呉地「会稽海外、東鯷人有り、分かれて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」 漢書地理志、燕地「楽浪海中、倭人有り、分かれて百余国を為す…

委面・異面・倭面土

前回の記事で、漢書の「楽浪海中倭人在り」に対して代々付けられた注を紹介しました。三国志の編者、陳寿の参照した漢書には、魏の如淳が付けた「墨の如く委面(入墨した顔)して、帯方東南万里に在り」という注が入っていたことになります。 陳寿は東夷伝序…

邪馬壹国から邪馬臺国へ⑵壹、委、倭

突然ですが、コンピューターは2進法の原理で成り立っていて、電気信号の on/off を1と0だけで使い分け、すべての情報を表現しているらしいです。詳しいことはわかりませんが、まるで陰陽の二元的世界の象徴みたいだなぁと思います。Yes/No、高/低、光/影…

邪馬壹国から邪馬臺国へ⑴

倭人の源流を探る中で、前回は古田武彦氏の書籍を参照しましたが、もうひとつ、非常に面白い古田説があります。 「三国志魏書の倭人伝に書かれているのは邪馬臺(台)国ではなく、邪馬壹国ヤマイコク、ヤマイッコクだ」 というものです。この説の存在は以前か…