2018-01-01から1年間の記事一覧
(2019.3.17.一部改定) キーワードは「九州西北部」 少し前にNHKの「クローズアップ現代」という番組で、マッチョな弥生人の骨について紹介していました。今年8月、人類学者の海部陽介氏が、宮ノ本遺跡(長崎県佐世保市の高島)から弥生時代の全身骨格を発…
今回、弓前文書を紹介しておりますが、このブログは出雲伝承を踏まえつつ古代史を探求していますので、私Sorafullのフィルターがかかることを避けられません。ですので興味をもたれた方は、前回記事でも紹介した原本を読んで頂くことをお勧めいたします。 弓…
前回の続きです。 弓前文書については今後の検証が必要とは思われますが、まずは現段階で提示された内容をできるだけ偏見なく学び、それから各自がどう受けとめていくかだと思います。このブログにおいては私、Sorafullの研究資料として皆さんと共有したいと…
鹿島神宮 中世に書かれた八幡宮御縁起によると「志賀島の明神、鹿島大明神、春日明神、すべて一躰分身、同躰異名」と記されています。八幡愚童訓や太平記では磯良は常陸の鹿島にいたとしています。中世に書かれたということは、記紀や鹿島、春日宮創建なども…
5)712年古事記の神話として綿津見神が記される。720年日本書紀では少童ワタツミ命、海神豊玉彦。800年には新撰姓氏録にて安曇氏の始祖を綿積豊玉彦とする。 正史に磯良は登場しませんが、ワタツミ神は安曇連の祖神とされ、新撰姓氏録には安曇氏の始祖とし…
初めに磯良の舞を紹介します。磯良舞については鈴鹿千代乃著「神道民俗芸能の源流」を参照します。 細男せいのう舞:春日大社、手向山八幡宮(奈良) 五十良舞:柞原八幡宮(大分) 鞨鼓かっこの舞:志賀海神社 傀儡舞(人形)の細男舞:古表神社(福岡)古…
宇佐家に伝わるシャーマニズムについて、宇佐公康著「古伝が語る古代史」を参照しながら紹介します。 宇佐神宮 南中楼門 1928年撮影の本殿 「振る毎に一種ひとくさに拍手一ッ、息都鏡一ッ、辺都鏡一ッ、八握劔一ッ、生玉いくたま一ッ、足玉たるたま一ッ、死…
古代史好きの父の影響で、幼い頃より九州王朝という言葉に馴染んではいました。20年ほど前、古代より伝わるという筑紫舞に接したことがきっかけで、九州王朝の存在を少し意識するようになりました。最近になって出雲王家の伝承を知り、九州王朝とは中国から…
先日、NHKーBS放送で「アメリカ 謎の古代遺跡」という番組があり、その中でアメリカ先住民であるプエブロ族を紹介していました。彼らはかつてスペインやアメリカによって、土地も言語も宗教も命も奪われたといいます。現在、ニューメキシコのタオス・プエブロ…
1年前の過去記事で、かつて日本列島にやってきた人たち(日本人の祖先)を、南方渡来と北方渡来にわけて詳しく紹介しました。 今回まとめているNHKスペシャルでは3回目の放送にあたります。 番組の前半は「海を渡ったのはサピエンスだけ」としてインドネシ…
240万年前にはホモ属(私たちホモ・サピエンスとそれにつながる種)がいて、いくつもの種が現われては消えていきました。そのうちのひとつであるサピエンスが現われたのはおよそ20万年前。この地球上には他の種とともにサピエンスが存在していました。ところ…
今回は出雲王国から離れて、久しぶりに地球史を書いてみたいと思います。 1年前に「DNAが語るホモサピエンスの旅」という記事の中で、私たちの祖先がどのようにアフリカから世界へ広がっていったのかをまとめました。 今年の春から初夏にかけて、NHKスペシ…
先日、読者のP様よりご質問を頂き、調べていくうちに過去記事を訂正しなければならないと気づきましたので、取り急ぎお知らせ致します。 以下の記事の中で、曙立王を物部朝倉彦と書いておりますが、出雲伝承において同一人物ではないことがわかりましたので…
沖ノ戎 おきのえびす 明治5年に現荒戎町より西宮神社境内に移された沖恵美酒神社です。南のえびす門を入って左手になります。 恵美酒エビスに「酒」の字が使われていますが、西宮は灘の酒の産地です。また事代主は三輪山でも酒の神として祀られています。な…
東側の表大門。通称、赤門。十日えびすの福男選びはこの扉が開いたらスタートです。境内図の右下にありますね。前回載せたえびす宮の門は中央手前の南門になります。赤門のほうが立派ですが、実は海に面した南門のほうが表だったそうですよ。 推定室町初期以…
前回の投稿から長らくのお休みを頂きました。 春よりライフスタイルの変化がありまして、まとまった時間を持てなくなっておりましたが、また少しずつ発信していこうと思っております。今後は不定期の投稿となりますが、よろしくお願い致します! なおコメン…
消された出雲王国 天武天皇の帝紀の編集に関わった忌部子人は、その経験から古事記の最初の部分を担当したようです。物部の時代から宮廷祭祀を担ってきた忌部氏は、日本の神々や神社に詳しく適任でした。もとは徐福の第2次渡来時にやってきた氏族なので、道…
斎木雲州著「古事記の編集室」「万葉歌の天才」を主に参照しますが、物語風に記されているところも多く、それが研究による推測であることも考慮し、そういった箇所は断定せずに紹介していきたいと思います。 天武天皇による帝紀の編集 天武10年(683年)に帝…
通説では中大兄皇子(天智天皇)の時代、乙巳の変において蘇我入鹿が自宅に火を放ち自害した際に書庫も炎上し、天皇記などの歴史書が焼け、残った国記だけが天皇に献上されたといわれます。その後の壬申の乱によって天武天皇が即位し(673~686年)失われた…
5人の貴族とそのモデル 石作イシヅクリの皇子⇒石作氏は丹比氏と同族⇒丹比真人島 庫持クラモチの皇子⇒車持与志古娘の息子がのちの右大臣・藤原不比等 左大臣・安倍御主人ミヌシ⇒大納言・安倍御主人 大納言・大伴御行ミユキ⇒大納言・大伴御行 中納言・石上麻…
個人的な話になりますが、少々お付き合いください。 私Sorafullは幼い頃より父から「藤原不比等フヒト」の名を繰り返し聞かされてきました。この人が日本の古代史における黒幕であり、史実を歪めてしまった、そして柿本人麿カキノモトヒトマロはそのすべてを…
記紀ではこの系図のように、ホムタ大王(応神)の御子がオオサザキ大王(仁徳)ということになっていますが、出雲伝承はそこに血の繋がりはないといいます。 物部王朝が終わって次に現れたのが平群へぐり王朝です。 神功皇后と武内ソツ彦の三韓征服によって…
日本の歴代天皇の系図は9代開化天皇(オオヒビ)の次に10代崇神天皇となっています。出雲の伝承によるとオオヒビの後にはヒコイマス、ヒコミチヌシと続き、そこで磯城王朝は終焉を迎えました。 記紀に記された崇神天皇以後の系図をみてみます。 物部王朝は…
磯城王朝最後の大王、道主(ヒコタツ彦)が稲葉国造となった時、武内宿祢タケシウチスクネはそれに従って稲葉国の宇部山(鳥取市)に移り住みました。そこへヒバス姫から連絡があり、夫のイクメ大王が武内宿祢に刺客を放ったというのです。武内宿祢は慌てて…
古事記の中でニニギノ命が天降ろうとした時、下を眺めると天の八岐やちまた(道の分かれるところ)に見知らぬ神が立っていました。その神は高天原から葦原中つ国まで、照らし輝かせています。天照大神はアメノウズメを遣わせ、なぜ道を塞ぎっているのか尋ね…
今回は丹波へ逃れていった月の女神の足跡を追ってみたいと思います。まずは丹後国風土記の伝承から。 天の羽衣伝説 奈具社 丹後国に比治の里がある。比治山の頂に「真名井」という泉があったが今は沼である。この泉に8人の天女が降りてきて水浴びをした。そ…
イクメ王の率いる東征軍が生駒山地に逗留している頃に話は戻ります。今回は勝友彦著「親魏和王の都」を参照します。 3人目のヒミコ 大和では磯城王朝10代ヒコイマス大王が亡くなり、娘の佐保姫が三輪山の姫巫女となっていました。三輪山の姫巫女は代々登美…
出雲王国の滅亡後も、物部東征軍は大和を目指して河内国へと進軍します。当時大和国は彦道之宇斯ヒコミチノウシ大王が和邇わにの都で勢力を持っていました。天理市の北部に和邇下神社がありますが、この辺りが都だったようです。 物部軍よりも先にタジマモリ…
旧王宮・智伊宮 第2次物部東征の頃、西出雲王国の主王は神門臣家の第17代山崎帯ヤマザキタラシ王でした。 王宮は真幸ヶ丘の北方(出雲市神門町、地図の智伊神社の辺り)にありました。そこは平野だったので、東征軍の侵入経路を想定して幾重にも堀を作って…
ここからは出雲王国の最期を辿っていくことになります。 紀元前6世紀から700年以上に渡る日本最古の王国の終焉です。ただ歴史を辿るというだけではない、何か重い扉を開けなければならない感覚がずっとあって、それでもこの扉を開けることで次の段階へ進む…