2017-01-01から1年間の記事一覧
古事記による初代神武天皇の東征ルート 出雲伝承による第1次物部東征ルート 徐福の北九州への渡来後、次男ヒコホホデミとその子孫たちによって物部王国が築かれました。ヒコナギサタケ(ウガヤフキアエズ)王の御子、五瀬イツセはヤマトへの遷都のチャンス…
ヤマトの大王の地位を失ったフトニ王は吉備国王となったのち、大山だいせんの西北にある孝霊山の麓の宮(現高杉神社)で晩年を過ごします。この孝霊山という名はフトニ王の諡いみな(死後の贈り名)です。ヤマトから細姫と福姫が一緒に来ましたが、フトニ王…
中国の史書にみられる「倭」という漢字は蔑字なので、ここでは和と書きますが、史書に記された文章の紹介ではそのまま倭という字を使います。卑弥呼なども同様とします。 三国志魏書の倭人伝によると、 その国(倭国)も、もとは男を王としていた。男が王で…
風土記の頃の中海と周辺 江戸時代中頃の埋め立てによって粟島は陸続きとなりました。現在の山陰本線もかつては海の中ですね。弓ヶ浜という名前は「夜見島」から変化したのでしょうか。 米子水鳥公園から粟島を見ています。とても小さな島です。だから粟島? …
パワースポットとして神社も人気ですが、太古のパワースポットは人工物のないところだったはず。磐座や神木すらないただの空間のこともあったでしょう。しだいに岩や木を神の降りる場、依り代として祀り、聖域に結界を張るためにしめ縄を用いたり鳥居のよう…
出雲大社では今、神在祭の真っ只中です。 でもこの神在祭と聞くたびにひっかかるものがありました。どうして神々が集うのが11月だけなんだろう。だって古代出雲王国時代には、各国の代表たちが集うのは春と秋の大祭なのだから、年に2度のはず。なのになぜ秋…
筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命コウラタマタレノミコトとは誰なのか。古代史界では謎の存在であるようです。 九州王朝説の古賀達也氏によると、4~6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭…
古代出雲の伝承については主に、 「出雲と大和のあけぼの」斎木雲州 「出雲と蘇我王国」斎木雲州 「古事記の編集室」斎木雲州 「親魏倭王の都」勝友彦 「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦 「お伽噺とモデル」斎木雲州 「事代主の伊豆建国」谷日佐彦 といった大元…
【2019年9月改編】 始皇帝の築いた秦国の滅亡後、100年ほど経ってから司馬遷が記した史記の秦始皇本紀に、徐福のことが書かれています。 紀元前210年、蓬莱島へ不老不死の仙薬を探しに行ったけれど、得られずに帰ってきた徐福が言いました。「薬を手に入れる…
出雲王国前期における王の弔いは風葬でした。 遺体には防腐剤である朱を口から注ぎ入れ、竹篭に納めます。東出雲王家では熊野山の霊の木ひのきの茂みにそれを隠します。木にはしめ縄を巻いて紙幣をつけ、霊隠木(神籬)ひもろぎと呼びました。3年後に洗骨し…
土蜘蛛と土雲 そもそもSorafullが出雲の伝承に行き当たったのは、古事記を読んでいくうちに「土雲」という表記が気になったからでした。 日本書紀や風土記では「土蜘蛛、土蛛、都知久母」と記します。このツチグモとは何でしょう。 Wikipediaでは〈上古の日…
出雲が王国として成立した紀元前6世紀頃、幸さいの神に名前をつけ、宗教として体系化されました。出雲は権力による支配ではなく、同じ信仰によって結ばれた王国です。 今回は「幸の神三神」以外の話を紹介します。 出雲族は太陽信仰をもっていて、朝の薄暗…
アマテラスやスサノオ、大国主という言葉が現れる以前、この国で長く広く親しまれていた三柱の神さまがいたことを知っていますか? 女夫めおとの神さまとその息子の神さまです。夫婦が円満に睦まじく、そして子宝に恵まれることを人々はこの神さまたちに祈り…
前回、旧石器時代に日本列島へやって来た人々を辿りましたが、ここからはその後の縄文時代以降の人々の流入について見ていきましょう。 昨年発表された縄文人の核DNA解析の結果、縄文人は他のアジア人とは見た目は似ていても遺伝子的には関係がなく、ホモサ…
バイカル湖畔にそっくりさんたちがいる 篠田謙一氏の研究より。縄文人29体のミトコンドリアDNAを分析して、世界の民族のDNA情報が集まるデータバンクから一致するものを探したところ、韓国、台湾、タイに一体ずつ一致、そして17体がシベリアのブリヤート人と…
新宿駅の北側に新宿百人町遺跡があります。住所を遺跡名にしただけ、なのに不思議と味わいがありますね。 新宿の初期の住人は2.5万年前の旧石器人。持ち物を見ると北方からの移住者のようです。彼らは焼いた石の上でお肉を蒸し焼きにして食べるという手の込…
3000年前から中国の国史に記された「倭人」への興味は尽きませんが、ここでいったん古代史から離れ、倭人を含むであろう縄文人の源流を遺伝子から探ってみたいと思います。そもそも日本列島に人が上陸したのはいつ頃、どんな経緯だったのでしょう。 DNAの遥…
安曇氏のその後はどうなったのでしょう。 現在長野県安曇野市の穂高神社では穂高見命、綿津見神、ニニギノ命を祀り、奥深い山の中で海人の祭り、御船祭を毎年行っています。 穂高見命といえば新撰姓氏録によると、綿積豊玉彦命の子であり安曇氏の祖となって…
(2017年9月17日改稿) 紀元前770年~同403年 春秋時代 大陸の海人族、越人 中国では長江より南のベトナムに至る広大な地域に、百越(ひゃくえつ)と呼ばれる越人の諸民族集団(漢民族ではない)がいて、春秋時代には呉や越の国を構成しました。 三国志魏書倭…
五十猛がイソラ、タケイタテだったのか? 古代史に登場する人物はたとえ同じ名前であっても、実際に一人の人物を指すわけではなく、例えば役職名のように代々同じ名前を受け継ぐ場合もあれば、神となって時空を超えて登場することもあります。(武内宿禰は何…
さて、宗像氏と海部氏の関係はどうなっているのでしょう。 海部氏の勘注系図によると火明命は、 ①大己貴(オオナムチ)と多岐津姫の娘、天道日女(別名高光日女)をめとって天香語山命(アマノカゴヤマ)が生まれる。 ②市杵嶋姫(イチキシマ)をめとって穂屋…
筑紫舞に残された謎に導かれるように、ソラフルは「君が代」の背景を探ります。 筑紫の王、安曇磯良の行方を追ううちに、他の海人族たちの存在が浮かび上がってきました。 まずは神話に描かれた海神たちの登場シーンから。 海神の誕生 死者の国から逃げ帰っ…
この日の旅もそろそろ終わりに近づいています。 お昼前に博多駅でレンタカーを借りて糸島半島へ、そしてまた博多へと戻ってそこから志賀島を目指して海の中道へ。半日では少々キツいスケジュールとなりました。 夕暮れが迫っています。 海の中道は10kmほど続…
このコスモスは前原市井原(イワラ)にある王墓跡に咲き乱れていました。 井原と書きますが、漢字は後からつけられたものですので音が大事です。地元の人はイハラやイバルではなくイワラと呼んでいます。 巨石信仰があったとすると、岩羅、磐羅、であっても…
君が代の発祥の地とされる糸島半島から志賀島へ。地名や神名が盛り込まれた君が代の幽遠なる歴史を辿ります。
別れ、そして再び 太平洋戦争に入ってからは、検校は光子のもとに1度来ると1年中ほとんど家にいて毎日稽古が続きました。 昭和18年の秋、検校から「もう全部伝えました。しっかりと体に入れて後々まで残して伝えてください。私はもうお暇します」と稽古の…
前回の記事はこちら 光子たちのその後に入る前に、筑紫舞の大事なポイントを何点か挙げておきたいと思います。 筑紫舞の核となる舞は翁の舞(くぐつ舞)です。 諸国の翁(その地方の王)が集まって諸国の舞を披露します。 三人立ち 肥後、加賀、都の翁 五人…
古来より伝承されてきた筑紫舞。昭和初期に途絶えかけた筑紫舞を復活させた人たちがいました。宮地嶽古墳におけるくぐつたちの神秘的な舞。伝承者たちの数奇な運命を辿ります。