古代海人族たちを結ぶ糸(1)海部氏の系図
筑紫舞に残された謎に導かれるように、ソラフルは「君が代」の背景を探ります。
筑紫の王、安曇磯良の行方を追ううちに、他の海人族たちの存在が浮かび上がってきました。
まずは神話に描かれた海神たちの登場シーンから。
海神の誕生
死者の国から逃げ帰ってきたイザナギが穢れ(けがれ)を禊ぎ(みそぎ)によって洗い流した時に生まれた神々です。
水の底ですすぐときに生まれた神が
底津綿津見の神、次に底筒男(ソコツツノオ)の命
水の中程ですすぐときに生まれた神が
中津綿津見の神、次に中筒男(ナカツツノオ)の命
水の面ですすぐときに生まれた神が
表津綿津見の神、次に表筒男(ウワツツノオ)の命
綿津見は安曇連が祖神として祀り、筒男は津守氏の祀る住吉三神。津守氏の祖神ではありません。
筒男、ツツノオってなんだろう?
この不思議な名の由来にはいくつか説があって、津の男であるとか、船の守り神を祀る筒を言うとか、海人の本拠地の地名とか。
他にも古語でツツは星を意味するからとも言われます。
海人族にとって星は夜の航海の命綱。北極星はほぼ動くことなく道標となって輝きます。そのそばに見える北斗七星は1日に1回転し、柄杓の先っぽに当たる剣先星の位置から子の刻0時、丑の刻2時というように時間を測っていたそうです(天の大時計)。
星々の中心である北極星を、古来中国の道教では北辰や太一と呼んで最高神、天帝として信仰していました。日本の天皇という言葉も道教の天皇大帝(宇宙の中心)から来ていると言われています。日本では北極星と北斗七星を祀る妙見信仰がありますね。空海や最澄もこれを密教と融合させています。
住吉三神はオリオン座中央の三ツ星という説もありますが、ソラフルは北極星近くの三ッ星(北斗七星を含むおおぐま座の足である三台星)を表しているという説のほうが自然な気がします。
後漢の頃、道教信仰が盛んだった中国の天台山は、この三台星の真下にある神聖な場所とされました。三台星は天帝である北極星を支えています。
住吉三神も天帝を指し示す、もしくは守護する三ッ星として描かれたのかもしれません。
海人族にとって星は生命を司る神。海と星は強い絆で結ばれているようです。
ところが、もう少し調べてみてわかったのですが、谷川健一著「日本の地名」によると、筒男は剣の神である経津主(フツヌシ)神や雷神と関係があることが日本書紀から読み取れるということで、氏が地名辞書で調べたところ、筑前糸島郡雷山の項では「山頂に雷神社あり、山下を筒原と曰ふ。雷神或いは筒神と唱ふ。蓋(けだし)住吉の筒男神に同じかるべし」とあります。さらにそこに雷神が造ったという筒城があるとも書かれています。雷神は筒神であり、住吉の筒男神に由来するというのです。
また壱岐の石田町筒城には海神社があり、今は白沙八幡宮となっていますがその前は筒城宮といったそうです。文脈から雷神は海神と同意義とされていて、まとめると、
剣神≑雷神=筒神=海神
ということになります。だとすれば、糸島や壱岐は安曇族の支配地ですので、安曇の綿津見神から住吉神へどのようにつながっているのでしょう。系図で見ていきたいと思います。
系図に張り巡らされた意図
さて、新撰姓氏録には津守連は天火明命アメノホアカリノミコト(海部氏)の後裔と書かれています。唐突ですが、結論から言えば海部氏は安曇氏の親戚です。さらに踏み込めば今、宗像大社沖ノ島で話題となっている宗像氏は海部氏の親戚です。海人族はみんな親戚!
つまり安曇と津守も親戚です。記紀などの描き方からも綿津見神と住吉神はペアになっており、綿津見神の発展系(記紀を編集した中央政権による改変?)が住吉神のようです。
先走ってしまいました。ここからはややこしいですが、一緒に格闘してください。知られざる日本の歴史が浮かび上がってきますよ。
国宝、海部氏の系図
丹後天橋立の籠神社宮司である海部氏の系図は昭和51年に公表され、日本最古の系図として国宝に指定されました。その後代々伝世されてきた鏡2枚、後漢時代の息津鏡、前漢時代の辺津鏡も公開。(古墳から出てきたのではなく、代々受け継がれているのです!)
そしてさらに平成4年、詳しい説明の書かれた秘伝の勘注系図がすべて公表されました。そこには2枚の鏡のことも記されていました。説明書付きの鏡なんて、他にありませんよね。
この勘注系図には始祖の火明命(ホアカリノミコト)から9世紀までの直系の子孫の兄弟姉妹と細かな注釈がついています。記紀には見られない話が記されていて、大変貴重なものなのです。
なぜこれまで秘伝とされ公表されなかったのか。それは海部氏の祖先が天皇家と同じだったからです。
公表された系図はふたつあり、本系図は直系のみ縦に記されています。ここには丹後国庁の印が押されていて、公に認められていることがわかります。そしてこの本系図は火明命の子と孫を飛ばして3世孫を記した後、18世孫まで14代が省略されています。公表できない理由があったのでしょう。
この省略を補うのが勘注系図です。だから秘伝なのですね。
天皇家の天孫降臨はニニギノ命が筑紫の日向の高千穂峰に降臨します。
海部家ではニニギノ命の兄弟であるホアカリノ命(別名ニギハヤヒ)が丹波に降臨します。(丹後は丹波と言われていた)その後河内国にも降臨し、また丹波に戻ってきます。
えらいこっちゃです。
ニギハヤヒと言えば物部氏の始祖であり、神武東征より先に河内国に降臨し大和地方を支配した豪族とされ、しかも神武とニギハヤヒが同族であったということが日本書紀にも記されています。
つまり海部氏の系図に書かれていることは、記紀では省略されている神武の曾祖父ニニギの兄弟であるニギハヤヒの降臨伝ということになります。
火明命の一番長い名は、
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト
です。天照まで出てきましたよ。
詳細を書くとキリがないので、今回は海人族の関係に絞ります。
下記の系図は安曇氏と関係のある一部抜粋です。
※新撰姓氏録は平安時代初期に編纂されたもので、京と畿内に住む1182氏を皇別、神別、諸藩別に分類し、その祖先を明らかにして氏名の由来や分岐の様子を記述したものです。
このように始祖から3代目のタケイタテの命が重なっていて、同じ祖先を持っていることがわかります。
安曇と海部がつながりました。
そして津守氏は新撰姓氏録では、尾張氏と同祖であり、彦火明命8世孫の市大稲日命の後裔とされています。
旧事本紀の尾張氏系図ではこの市大稲日命は火明命8世孫の倭得玉彦命(ヤマトエタマヒコ)と同じとされ、海部氏の勘注系図にも8世孫に倭得魂彦命とあります。
市大稲日命(火明命8世孫の倭得玉彦命) ⇒ 津守氏と尾張氏へ
安曇氏、海部氏、津守氏、尾張氏がつながりました。
残るは宗像氏です。