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源流なび Sorafull

筑紫王国のニギハヤヒ

古代出雲の伝承については主に、

「出雲と大和のあけぼの」斎木雲州

「出雲と蘇我王国」斎木雲州

古事記の編集室」斎木雲州

親魏倭王の都」勝友彦

「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦

「お伽噺とモデル」斎木雲州

「事代主の伊豆建国」谷日佐彦

といった大元出版の書籍から紹介しています。他の書籍はその都度紹介していくつもりです。

これらの本を読んでいくと、どうしてここまで細かいことが伝わっているのかと不思議に思います。でもそのせいで納得がいくのは確かです。読んでみるとわかりますが、たとえば地名の由来、神社の由来など本当に詳細に書かれていて、出来事とのつながりがあり腑に落ちるのです。

勝友彦氏が著書の中で書かれていますが、出雲王国が滅んだあとに秘密結社の情報機関ができ、富家に大事件の真相を知らせる仕組みになっていたそうです。国の史書は権力者側に偏ってしまいますが、富家の歴史記録は公平で正確であったと。大元出版の本はこの記録に基づいて書かれているそうです。そういえば富家は王国時代からマツリゴトの会議の記録などを取り続けてきた家系ですものね。

欲を言えばこの記録や伝承の部分と、後代における解釈や考察をきっちり分けて記して頂けるとより有難いと思います。そこが混ざってしまうとこの先の時代で変容してしまう怖れがあり、たとえ意味がわからなくても伝わっているままの形はそれとして残していく、ということが大切に思えます。出雲のこの貴重な伝承を未来にしっかりと受け渡すためにも、そういった本の出版を強く願います。

 

徐福の和名を解いてみる

徐福は丹波では火明ホアカリ、九州では饒速日ニギハヤヒと名乗ります。日本書紀では天照国照彦火明命櫛玉饒速日命と別人物として記されています。尾張氏物部氏系図を記した旧事本紀や、国宝である海部氏の勘注系図では天照国照彦火明櫛玉饒速日命という長い名も記されています。日本書紀はこの長い名前をふたつに分けたわけです。けれどこの系図が国宝になるということは、実は暗黙の了解のもとにホアカリとニギハヤヒが同一人物であり、なおかつ天皇家と同祖であると認めているのではないかと思えてきます。

日本書紀ではタカミムスヒ神の娘、拷幡千千姫タクハタチヂヒメがオシホミミノ尊との間にホアカリとニニギを生んだといいます。

古事記ではタカミムスヒ(高木神)の娘、万幡豊秋津師姫ヨロズハタトヨアキズシヒメがオシホミミノ命の子、ホアカリとニニギを生みます。

記紀ではニギハヤヒ(徐福)をニニギと変え、ホアカリと2人の兄弟として描かれていますが、実は同一人物であったということになりますね。記紀はホアカリのその後には触れず、ニニギの話を進めます。ニニギの曾孫が神武です。そして神武が東征して大和を平定する際に出会ったのがニギハヤヒとなっています。ややこしいです。このニギハヤヒはニニギより前に大和に降臨したことになっており、しかも同じ天孫族ということです。そしてのちの物部の祖でもあると。つまりこれらの登場人物はすべて徐福の一人芝居みたいなものですね・・・・。時系列も人物もバラバラにされています。

もし徐福の存在を消したかったのであれば、そもそもこんなややこしい話にしなくてもいいと思いませんか。徐福の名前は出したくないけれど、日本の歴史をまったく根拠のないものにはしたくなかった、という中途半端な意図でしょうか。それとも怨念を恐れての苦渋の選択だったのか。どちらにしてもこの神話の謎解きは、出雲の伝承を正しいとするならば、絡まった糸がスルスルと解けていくように思えます。

ちなみに出雲の伝承では記紀の編集者たちについても話が及び、天武天皇物部氏以外の各王朝の子孫たちを選んで編集員として集めていたそうで、この時点では真実に近い史実を記す方針であったようだとしています。ですが記紀の作成は難航し、天武天皇の死後、后の持統天皇に引き継がれ、この時権力を強めていた藤原不比等中臣鎌足の息子)が、女帝の意向と豪族たちの思惑を織り交ぜながら編集を進めていったということです。

 

高木神とは

徐福が二度目の渡来時に連れてきた母、タクハタチヂ姫は古事記では高木神の娘として描かれています。古事記の冒頭を紹介します。

天と地が初めて現れたとき、高天の原に最初に姿を見せたのは天御中主アメノミナカヌシの神です。次が高御産巣日タカミムスヒの神、次が神産巣日カムムスヒの神。この三柱の神はみな独り神(性別がない)で、いつのまにか姿を隠されました。

アメノミナカヌシ神道教的な神であり、宇宙の中心となる神、根源の神です。タカミムスヒ神天孫降臨の際には高木神と記されます。徐福たち、つまり第三の渡来民である大陸からの神です。カムムスヒ神は出雲の神魂カモス神社の名の由来でもあり、記紀ではスクナヒコの親神とされており、出雲族の信仰する幸の神、つまり第二の渡来民たちの神です。神魂カモス神社は元々幸の神を祭り、夫婦神が多くの神々を生んだことから結びの神と言われました。むすびのムスは「生む」の古語です。

タカミムスヒ神はいつもアマテラスとともにいて指示を出します。天孫降臨神話におけるほぼ最高司令官のような存在なのです。一方カムムスヒ神は出雲神話に現れ、出雲の神々の母的な存在で、大国主を何度も助けます。

この三柱の神は日本創世神話の最初に現れる重要な神(造化三神)として描かれますが、この背景を知るまでは立場などがよくわかりませんでした。これですっきりしませんか? 記紀の土台の構造がここに見えてきます。

そしてこのブログの最初に紹介した九州に古来から伝わる筑紫舞の伝承者、菊邑検校が言った「信仰しているのは高木神だけです」という言葉から、彼らは北九州に栄えた徐福(ニギハヤヒ)の末裔たちということが見えてきます。つまり物部氏ですね。物部氏はのちに蘇我氏に滅ぼされますので、検校が蘇我にまつわる舞だけはタブーのように教えなかったというのも納得です。しかもこの蘇我氏とは出雲王家の出身なので、なんとも切ない歴史の繰り返しです。

 

ニギハヤヒの上陸地

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徐福の集団はまず伊万里湾に入り、一部の人たちがそこに住み着いたそうです。波多や福を使った地名が残っています。さらに南にあるという平野を目指し、有明海にまわって筑後川下流浮盃から上陸します。地図では内陸ですが、昔はその辺りまで海岸でした。上陸地をどこにするか占い、盃を浮かべ流れ着いたところに決めたといわれます。徐福は上陸するとすぐに井戸を掘らせたようで、今も民家に残されています。

徐福たちは立山に登って星を拝みました。金立神社に金立大権現として祀られています。連れてきた海童たちは故郷に帰ることはできず、海童神の供養碑が建てられています。出雲にも海童神社がありましたね。西の天山のほうにも広がり、徐福たちが拝んだ山は天という字が当てられました。築紫野市にも天拝山や天山(現宮地岳)があります。麓には童男丱女船繋石や高木神社があります。

徐福はニギハヤヒと名乗って筑後川流域で勢力を増し、息子である彦火火出見ヒコホホデミ(五十猛の異母弟)の頃には筑後筑前地方を支配したそうで、その辺りを築秦国ちくしんこくと名付けました。筑紫国ちくしこくの由来です。

ニギハヤヒ吉野ヶ里に大きな環濠集落を築いたと考えられています。発掘された当初は紀元3世紀のものとされ、邪馬台国だと騒がれましたが、年代測定のやり直しにより紀元前3~2世紀頃のものと変更され、邪馬台国の可能性は消え、徐福の時代に合うことがわかりました。

 

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この遺跡は周囲に柵と二重の堀をめぐらせた大規模な環濠集落です。徐福の出身地臨淄の古城の防御構造にとても似ているそうです。吉野ヶ里からは遺骨を納める甕棺が二千基以上出ていて、山東省出土のものと同じタイプだそうです。また銅剣や鋳型工具も出土しており、秦時代のものといわれています。

ニギハヤヒの子孫が物部となったので、この築秦国を物部王国とします。出雲王国では連合国に銅鐸や銅剣、鉄剣を配りましたが、物部王国では銅矛や銅戈を各地の豪族たちに配りました。ニギハヤヒの頃には出雲にも贈られていたようで、中広型銅矛が荒神谷遺跡から出土しています。北九州の先住の出雲族とも混血していったそうです。

 

戦いの始まるとき

弥生時代の遺跡から出土する人骨には、戦いの跡が残されています。頭部がなかったり、傷つけられた跡があったり。これらは縄文時代の人骨にはほとんどみられないそうです。つまり弥生時代は戦いの始まった時でもあるのです。青銅器、鉄器は祭祀用や生活の道具から武器へと変わります。この吉野ヶ里遺跡をみても敵の襲撃を防ぐための構造となっています。徐福に代表される第三の渡来人は多くの新しい技術や文化を伝えてくれた反面、戦いという火種も持ち込みました。

でももし平和な縄文時代がずっと続いていたなら、日本は今のように存続しただろうかとも思います。たとえば超大国の唐が朝鮮半島倭国を狙っていたのは明らかです。そのとき弥生時代の変革を日本が経ていなければ、この国を守り通せたでしょうか・・・・。

歴史というのは見る立場、得た情報によっていかようにも映ります。出雲側から見れば徐福の渡来は痛み以外の何ものでもないと思います。主王、副王を暗殺された上に、3世紀には物部王国と豊国の連合軍の東征によって出雲王国は滅びます。(三国志魏書に記された卑弥呼の時代です。)

けれど歴史の最前線ともいえる今、私たちがこの日本に生きているということは、それらすべての出来事の上に立っているのです。プラスもマイナスも表も裏も、そのすべての変遷が日本を日本たらしめたのだということは確かです。

Sorafullは若い頃、筑紫舞を伝え続ける人たちの存在に心が震えました。そして今、出雲の封じられた歴史を世に問いかけようとしている方々に共感します。どちらもこの国の、そして自分の大切なルーツだからです。

自由な現代において、これまで歪められ伏せられてきたことは、そろそろ表に出してやるほうがいいのではないかなと思います。それは自分のルーツを知るという素直な欲求でもありますから。