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源流なび Sorafull

神在月の旅⑵ 古代王宮・神魂神社と森の中の王墓

パワースポットとして神社も人気ですが、太古のパワースポットは人工物のないところだったはず。磐座や神木すらないただの空間のこともあったでしょう。しだいに岩や木を神の降りる場、依り代として祀り、聖域に結界を張るためにしめ縄を用いたり鳥居のようにわかりやすい人工物を置いたわけです。

奈良の大神神社三輪山御神体であり、初めは山の麓に鳥居を建てただけの古い形だったようです。だんだんそれではもの足りなくて社殿が作られるようになった。「ここは聖域」という区切りが必要になったんですね。

建造物としての素晴らしさもそれぞれにありますが、太古の人々はそういったものを必要としないほどに、見えないものを感受する能力が研ぎ澄まされていたのだろうと思います。現代でもそういう方はおられますが、かなり特殊なことになっていますよね。何千年何万年前には決して特別なことではなかったのでしょう。

コミュニケーションも人だけではなく動植物、大地、海、星々と感応し合って暮らしていた、つながっていることを体感として当たり前に知っていた。やがてそこに物語が生まれ、人間と様々な精霊たちが紡ぎだす豊かな世界観が現れたのだと思います。個人で区切られた現実の中に生きる私たちとは、次元が違いますね。

ただし日本の神話、古事記に関しては人間界の出来事を意図的に神話という形をとって描いているので、また別の話のようです。けれどその源を遡ることができればきっと、古代の感性が息づく世界が開けてくると思います。

 

国宝・神魂神社

出雲王国初代の八耳王は王川(現意宇川)中流の神魂かもすの丘の王宮に住んでいたといいます。そこが各地の代表が集まる祭りの庭(王神庭おうかんば)でもありました。北に茶臼山(神名備山)を、東にクナト王の隠る大山を遙拝し、感謝と祈りを捧げます。

紀元前6世紀頃の王宮ってどのようなものだったのでしょうか。想像がつきませんが、実は伝承によると王宮の形がそのまま神社の本殿になったというのです。つまり今も神魂の丘に佇む神魂神社が、古代の王宮を表わしているのです。もちろん建て替えはされているでしょうが。

神魂神社は大社造りの最古(1346年)のものとして国宝に指定されています。出雲では多くが大社造りなので、今回の旅でも目にするのはたいていこの形でした。妻入りの屋根が愛らしくて好きになりました。

 

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森の中にひっそりと佇む鳥居と参道。ずっと眺めていたいような落ち着きがあります。

 

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趣ある自然石の手水舎です。ここから急な階段を登ると・・・・

 

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拝殿の奥に高床式の本殿が現れます。思わずかっこいい~!と感嘆してしまいました。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは日本の歴史的な建築美を高く評価した人ですが、この神魂神社を古代木造建築の傑作として賞賛したそうです。

Sorafullはこれまで写真では知っていたのですが、実物を見たとき、その品格のある美しさに驚きました。それを説明する建築的知識がないことが残念です。最古だという価値以上に、神殿そのものの素晴らしさに感動します。

 

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雨よけのために階段の屋根は妻入りとなり、もとは王の住居なので階段は狭く右に寄っています。

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床下は9本柱です。中央が一番太い心御柱しんのみはしら。のちに大黒柱として民間に広まります。出雲大社神魂神社を真似て建てたようですよ。

 

庶民は竪穴式住居に住んでいたので、こんな高床式の住まいを見上げるだけでも王の威光を感じたでしょうね。

そしてこの境内自体にもなんともいえない雰囲気があって、神宿る庭と言われればそんな気にもなってしまいます。深閑とした中に、こちらを揺さぶる何かがありました。

出雲大社神魂神社も建物としては大きさが違うだけです。出雲大社では歴史的建築物を観たという満足感でしたが、神魂神社は何か大事なものに触れた感動です。これが空間に宿る何か、なのでしょうか。

 

実はイザナミイザナギの名前はこの神社から始まったのだそうです。3世紀半ば、物部王国に占領された東出雲王家は王宮を明け渡します。物部王朝は3代で終焉となり、王宮は住んでいた物部の秋上家から返還されますが、向家は辞退しました。秋上家は王宮を神社にして、出雲の幸の神を祭ろうと提案します。ただし神の名前は変えて、クナト大神をイザナギノ尊に、幸姫命をイザナミノ尊とし、神社は神魂神社と名付けられました。主祭神イザナミノ尊です。

この秋上家の祖である占領軍司令官の物部十千根の古墳が八雲町にあったのですが、秋上家の人々は出雲を占領した歴史を覚えていてほしくないという思いから、古墳をイザナミノ尊の墓としたそうです。 

伝承ではここで初めてイザナギイザナミの二柱の神が登場したということですが、それ以前から日本になんらかの言葉として存在していたという可能性はないのでしょうか。これはSorafullの「なんとなくそんな気がする」というだけのことなんですが。

凪と波のイメージは、まるで物質が粒子と波の両方の性質をもつという量子力学を思わせます。この世に初めて形あるものを生み出していったイザナギイザナミにふさわしすぎるネーミングだと思いませんか?

もちろんその時代に現代の物理学が認識されているはずもなく、あるとすれば直観的に世界の成り立ちを感じ取っていたということです。見えない世界を感受して音として表現する。まさに言霊ですね。

というわけで、物部十千根という軍の司令官がその場で考えだしたものという気がしないのですが、もし十千根のネーミングであれば、最高にグッジョブ!ですよね~

 

 伝承では本殿の中は田の字にわかれていて、右回りに奥に進み、右奥が王夫妻の寝室だったとあり、神殿になってからはそこが神座だということです。ところが神社の説明では左回りで左奥に神座があるとしています。途中の立て替えで変わってしまったのでしょうか。

もうひとつ疑問があって、屋根の上で交差している千木(幸の神のX掛け印)の説明がややこしいのです。写真も字も不鮮明ですみません! 左の垂直に切られているのが縦削ぎ、右の水平のものが横削ぎと呼ばれています。

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通説では縦削ぎが男神、横削ぎが女神ということで千木をみれば男女神の区別がつくということになっているそうです。ところが伝承では縦削ぎが出雲系、横削ぎが九州物部系という違いだそうです。なので現在の神魂神社が横削ぎになっている理由は、王国滅亡後に住んだのが物部なので横削ぎに変化したと説明されています。

なるほど~と思いきや、伊勢神宮の内宮と外宮の説明が現在とは逆になっているんです。内宮は出雲→三輪の太陽神が遷座したので出雲系の縦削ぎ、外宮は九州系の月神豊受大神遷座したので横削ぎ、との説明なのですが、実際には縦横が逆なんですよね。これも長い年月の中で変化していったということなんでしょうか?

丹後の籠神社は主祭神が火明命で横削ぎ、奥の真名井神社豊受大神で縦削ぎ、なので混乱!よくわかりません。

 

余談ですが、受験生の息子にお守りを購入した際に、巫女さんが「合格祈願の御祈祷もなされていますが、これは勉学のお守りなので今回限りというのではなく、勉強を続けられている限りずっとお守りとして身に着けてもらってくださいね」と仰いました。お守りってその年限りだとばかり思っていましたし、それもなんだか使い捨てカイロみたいだなぁと感じていましたが、こんなふうに言って頂くと、より親身なものに思えますね。息子よ、生涯勉強~~! 

 

東出雲王墓

神魂神社の隣には淞南学園高校が建っています。神社前ですれ違う生徒たちはみんな体育会系の爽やかな挨拶をしてくれます。今はこの高校の校舎前に東出雲王墓があるんです。王墓へ行くには高校の敷地を少し歩かないといけないので、職員の方に会えばひと言声を掛けたほうがいいと思います。

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光って見えにくいですが鳥居には出雲大神と書かれています。山道を少しいくと、

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東出雲歴代王の拝み墓(住まいに置くお墓)がひっそりと祀られています。縄文時代からのものです。

遺体は風葬のあと、熊野山の大岩の横に埋葬されます。その岩は磐座として崇拝されました。事代主もそのように埋葬されているそうです。

次回は事代主の最期の場となった粟島の洞窟を紹介します。