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源流なび Sorafull

出雲王国

魏書に潜む男たちの戦い

いわゆる邪馬台国の時代、出雲伝承によると日本は西の物部・豊連合王国と東の磯城王朝が対立していました。都はひとつではなく、都万と大和(この時は和邇)にあったことになります。 それでは今回は外から見た和国の様子を見てみたいと思います。中国の史書…

邪馬台国の夢~ヒミコの恋

今夜は皆既月食の赤い月 Blood moon ですね。しかも今月2度目の満月 Blue moon 。そして月と地球が最も近づく Super moon です。 日本でこの3つの現象が重なったのは約150年前、明治維新の直前だったそうです。国の仕組みが大転換しただけでなく、人々の意…

第2次物部東征~日月星・神々の光芒

中国の三国時代(魏、呉、蜀)について書かれた歴史書「三国志」の呉書によると、 呉王(孫権)は230年に1万の兵を夷州(沖縄もしくは台湾)と亶州(九州)に派遣して現地の人を兵士として連れて帰ろうとしたけれど、亶州の場所がわからず夷州から数千人だ…

纒向のヒミコと箸墓と

後漢書や三国志の魏書に記された「卑弥呼」の話へと進めつつ、前方後円墳の芽生えともいえる纒向遺跡について紹介したいと思います。 磯城王朝8代クニクル大王の后、クニアレ姫は登美家出身の三輪山の姫巫女ヒメミコです(登美家は出雲事代主の分家)。娘の…

古墳の始まり~出雲から楯築、纒向へ

★2018年5月17日改訂★ 実は古墳が苦手です。見ることではなくて分類が。 種類、時期、地域を考えると、どう整理してよいのかわからず困っていました。なのでどこで古墳の話を挿入しようかと、ずっと迷っていたのです。ところが救世主が現れました!吉備発祥と…

第1次物部東征~八咫烏と八岐大蛇

第1次物部東征で紀ノ川の名草軍に撃退された物部軍は、海路で熊野へ向かい、熊野川中流の中州に本拠地を置きました。 大和葛城ではすでに主力となる勢力はなく、出雲王家の分家である登美家は、次は物部が大和を統一するだろうと見越します。 出雲の伝承で…

夕占(ゆふけ)と母系家族制

万葉の占いに夕占ゆふけというものがあります。 ゆふけ。なんとも儚く切ない響きをしています。どのようなものなのか、万葉集から見てみたいと思います。 ☆言霊の 八十やその巷ちまたに 夕占問ふ 占正うらまさは告のる 妹はあひ寄らむ 辻で夕占をしたところ…

お正月の源流~日本と古代インドの絆

あけましておめでとうございます。 源流なびのSorafullです。 このブログを読んで下さっている方々に心より感謝し、今年も源流探求に邁進していく所存であります!本年もよろしくお願いいたします。 さて今年初めのテーマはお正月です。毎年当たり前のように…

第1次物部東征~熊野権現vs名草戸畔

古事記による初代神武天皇の東征ルート 出雲伝承による第1次物部東征ルート 徐福の北九州への渡来後、次男ヒコホホデミとその子孫たちによって物部王国が築かれました。ヒコナギサタケ(ウガヤフキアエズ)王の御子、五瀬イツセはヤマトへの遷都のチャンス…

欠史7代とナガスネ彦とアラハバキ

ヤマトの大王の地位を失ったフトニ王は吉備国王となったのち、大山だいせんの西北にある孝霊山の麓の宮(現高杉神社)で晩年を過ごします。この孝霊山という名はフトニ王の諡いみな(死後の贈り名)です。ヤマトから細姫と福姫が一緒に来ましたが、フトニ王…

和国大乱~日矛の渡来と吉備王国

中国の史書にみられる「倭」という漢字は蔑字なので、ここでは和と書きますが、史書に記された文章の紹介ではそのまま倭という字を使います。卑弥呼なども同様とします。 三国志魏書の倭人伝によると、 その国(倭国)も、もとは男を王としていた。男が王で…

神在月の旅⑶ 粟嶋神社と美保神社~父娘を結ぶ海

風土記の頃の中海と周辺 江戸時代中頃の埋め立てによって粟島は陸続きとなりました。現在の山陰本線もかつては海の中ですね。弓ヶ浜という名前は「夜見島」から変化したのでしょうか。 米子水鳥公園から粟島を見ています。とても小さな島です。だから粟島? …

神在月の旅⑵ 古代王宮・神魂神社と森の中の王墓

パワースポットとして神社も人気ですが、太古のパワースポットは人工物のないところだったはず。磐座や神木すらないただの空間のこともあったでしょう。しだいに岩や木を神の降りる場、依り代として祀り、聖域に結界を張るためにしめ縄を用いたり鳥居のよう…

神在月の旅⑴ 出雲大社とかごめ歌

出雲大社では今、神在祭の真っ只中です。 でもこの神在祭と聞くたびにひっかかるものがありました。どうして神々が集うのが11月だけなんだろう。だって古代出雲王国時代には、各国の代表たちが集うのは春と秋の大祭なのだから、年に2度のはず。なのになぜ秋…

隠された物部王国VSヤマト王国の誕生

筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命コウラタマタレノミコトとは誰なのか。古代史界では謎の存在であるようです。 九州王朝説の古賀達也氏によると、4~6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭…

筑紫王国のニギハヤヒ

古代出雲の伝承については主に、 「出雲と大和のあけぼの」斎木雲州 「出雲と蘇我王国」斎木雲州 「古事記の編集室」斎木雲州 「親魏倭王の都」勝友彦 「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦 「お伽噺とモデル」斎木雲州 「事代主の伊豆建国」谷日佐彦 といった大元…

徐福と牛頭天王・蘇民将来そして宗像三女神

【2019年9月改編】 始皇帝の築いた秦国の滅亡後、100年ほど経ってから司馬遷が記した史記の秦始皇本紀に、徐福のことが書かれています。 紀元前210年、蓬莱島へ不老不死の仙薬を探しに行ったけれど、得られずに帰ってきた徐福が言いました。「薬を手に入れる…

古代出雲は黄泉の国~悲しき伝承

出雲王国前期における王の弔いは風葬でした。 遺体には防腐剤である朱を口から注ぎ入れ、竹篭に納めます。東出雲王家では熊野山の霊の木ひのきの茂みにそれを隠します。木にはしめ縄を巻いて紙幣をつけ、霊隠木(神籬)ひもろぎと呼びました。3年後に洗骨し…

出雲王国のオオナモチとスクナヒコ

土蜘蛛と土雲 そもそもSorafullが出雲の伝承に行き当たったのは、古事記を読んでいくうちに「土雲」という表記が気になったからでした。 日本書紀や風土記では「土蜘蛛、土蛛、都知久母」と記します。このツチグモとは何でしょう。 Wikipediaでは〈上古の日…

太陽の女神と龍蛇神がやってきた

出雲が王国として成立した紀元前6世紀頃、幸さいの神に名前をつけ、宗教として体系化されました。出雲は権力による支配ではなく、同じ信仰によって結ばれた王国です。 今回は「幸の神三神」以外の話を紹介します。 出雲族は太陽信仰をもっていて、朝の薄暗…

縄文信仰は出雲の「幸の神」

アマテラスやスサノオ、大国主という言葉が現れる以前、この国で長く広く親しまれていた三柱の神さまがいたことを知っていますか? 女夫めおとの神さまとその息子の神さまです。夫婦が円満に睦まじく、そして子宝に恵まれることを人々はこの神さまたちに祈り…

もうひとつの渡来人集団、出雲族

前回、旧石器時代に日本列島へやって来た人々を辿りましたが、ここからはその後の縄文時代以降の人々の流入について見ていきましょう。 昨年発表された縄文人の核DNA解析の結果、縄文人は他のアジア人とは見た目は似ていても遺伝子的には関係がなく、ホモサ…