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源流なび Sorafull

お正月の源流~日本と古代インドの絆

あけましておめでとうございます。

源流なびのSorafullです。

このブログを読んで下さっている方々に心より感謝し、今年も源流探求に邁進していく所存であります!本年もよろしくお願いいたします。

 

  

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 さて今年初めのテーマはお正月です。毎年当たり前のように同じ儀式を繰り返すため、その源流も「なんとなく神道」ぐらいにしか考えたことはなかったのですが、出雲王国に触れたことがきっかけで、とても興味深い繋がりを知ることができました。その一部をご紹介します。

今回は出雲の伝承を離れて、日本語の起源を探求された大野晋すすむの研究をみていこうと思います。大野氏は言語から日本の成り立ちを探られたので、出雲王朝については触れていません。

大野氏の説の概略ですが、日本にはかなり古い時代から南方系の音韻組織をもったなんらかの言語があり、そこへ縄文晩期以降にタミル語(古代インド語であるドラビダ語の中で最古の言語)が重なって、文法と単語が受け入れられていったという説を唱えられました。インドとどのように関係を持ったのかはわからないけれど、生活の根源に関わる多くのものが、同じ時代に日本とインドに平行的に存在し、特に日本人の精神生活の基礎となる言葉がタミル語と対応していることを重視されています。

※3500年ほど前、アーリア人の侵攻によってインドの南方に逃れたドラビダ人(インダス文明を築いた民族)をタミル人と呼ぶようになりました。

そもそも元旦とは、旧暦では1月最初の満月の日を指し、今では1月15日の小正月に当たります。つまり昔は満月の日を月初めの1日としていたわけです。なので、今日は元旦ですが本来はなんでもない日です。ちょっと残念。

それでは現在南インドでみられる小正月の風習と、日本においては現在と過去のものを含め、お正月と小正月にみられる風習を通して、ふたつの国の共通性をみていこうと思います。

ちなみに南インドでは現在の1月1日は何もせず、15日を挟んだ3日間で豊作祈願を行います。日本では太陽暦による大正月(現代の元旦)は歳神様を迎える行事であり、小正月は豊作祈願や家庭の幸いを願う行事が行われます。大正月で忙しかった女性をねぎらう意味で女正月ともいいますね。

 

 ⑴Pongalとホンガホンガ

南インド

15日が近づくと「Happy Pongal!(新年おめでとう)」の横幕が張られます。このPongalの意味は「新年」や「おいしく景気よく炊いたご飯またはお粥」であり、それを神に捧げる新年の太陽祭です。Pongalのもととなったタミル語のPongu(動詞形)の意味には「沸き立つ、増える、富んでいる、実りが多い」などがあります。豊穣祈願ですね。

地方によってそれぞれの流儀はあるようですが、大野氏の現地での体験なども含めて紹介します。

15日の夜、

「ポンガローポンガル! バターポンガル! お砂糖ポンガル! 白いもの(米)ポンガル!」

と大声で叫びながら、子どもを先頭に家族が列になって家の周りを廻ります。

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Wikipedia掲載のPongalのイラスト 

 

日本

「豆ぬがもホンガホンガ、蕎麦ぬがもホンガホンガ、豆腐かすもホンガホンガ‥‥」

と言いながら小正月の晩、大豆の皮や蕎麦の殻などを器に入れて、家の周りを撒いて歩く行事が東北にあり、柳田國男は100年以前から続いていると記しています。ホンガホンガの意味は唱える人も解っていないそうです。地方によって「ホンガホガ」や「ホガホガ」と書かれているようですが、東北弁では「ガ」は「ンガ」と発音されるので同じ音のようです。「ホンガラホ」というところもあり、これは「Pongalo ポンガロー」に対応しています。※日本語のホの音は大昔はpoの音でした。

 

かなり項目が多いので、ここからは大胆に簡略化します。大野晋著「弥生文明と南インド」に大変詳しく書かれています。

 

⑵古い物を集めて焼く(トンド焼き)

南インド

使い古したものを焼く。

日本

 トンド、ドンド、サギチョウなどと呼ばれ、大正月で使った門松、しめ縄、書き初めなどすでに使った古い物を焼く。(地域によってはサイノカミ、サエノカミの祭りとしているところもあるようです)

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⑶小屋を焼く

南インド

スリランカでは牛小屋や柵を焼く。

日本

大正月に子どもたちが作った正月小屋を焼く。古い小屋を焼いて新しく作る。

 

⑷しめ縄を張る

南インド

縄にインドセンダンの葉やバナナ、マンゴーなどの葉を吊す。玄関や村の入り口に張る。

日本

しめ縄を張り、紙を垂らす。

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⑸門松を立てる

南インド

バナナやココナツの木を切って門の両脇に立てる。

日本

松、榊、杉などを立てていたが、のちに松に竹を添えるようになった。

 

若水を汲む

南インド

先に井戸を洗い、新年の朝、新しい壺で水を汲み、花を入れる。「新年の水」という言葉がある。

日本

元旦の朝、初めて汲む水を若水という。井戸に餅を供え、桶に花輪をつける。

 

⑺お粥を炊く

南インド

新年の行事の中心となるもの。大昔は粟穂をそのままか、お粥を炊いて神に供えた。その後赤米のお粥を炊くようになった。今は赤米は作られないので白米。豆や砂糖を入れて炊いた記録がある。

日本

あずき粥を炊く。味付けは地方によって砂糖や塩。

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⑻カラスへのお供え

南インド

炊きあがったお粥をまずはカラスに供える。その時「コー、コー」とカラスを呼ぶ。これはカラスが食糧をもたらしてくれるという伝承に基づく。

日本

青森では「ホー、ホ-」「ポーポポー」と呼びながらカラスに餅を投げ与える。カラス勧請と呼ばれる。餅を食べてくれるかどうかで収穫の吉凶を占った。「シナーイ」「シネー」と呼ぶ地域もある。シナイとはタミル語の粟に対応する。粟穂と呼ばれる小正月の飾り物があり、古くは米が作られる前の貴重な食糧だったからと考えられる。

 

⑼餅を神に供える

南インド

インド本土では取れたてのお米を炊いて神に供えるが、スリランカのタミル人の供え物のひとつが、ココナツで作った丸いお餅のようなものをベテルの葉の上に乗せ、鏡餅と同じように山の形に重ね、頂上に柑橘類や花を置く。他にモタカムと呼ぶ米粉を球形に固めたお菓子のお供えがあり、これは平安時代のモチ、モチヒ(餅)に当たる。

日本

丸い餅を裏白という葉の上に2つ3つ重ねて神に供える。頂上に橙を置く。

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三河万歳が廻る

インド

神の使者という少年が家々を廻り、幸福をもたらす祝言を述べ、鐘や太鼓を鳴らして歌い、小銭をもらう。

日本

烏帽子に大紋を着た太夫と、小鼓や胡弓を弾く才蔵という2人組(三河万歳、大和万歳)が家々を廻り、おめでたい言葉を述べて小銭をもらう。

 

⑾成り木責め

南インド日本

果樹に向かった2人が「成るか成らぬか」「成らぬと切るぞ」と責める。一方が「成ります、成ります」と答える。日本ではこの時小豆粥を供える地方もある。

ただしヨーロッパにも同じような行事があったそう。

 

⑿墓参り寺参り

南インド

15日までに故郷に帰り先祖にお粥を供える。

日本

実家に集まって墓参りをする。

 

⒀お仕着せを配る

南インド

従業員たちに新しい服を配る。彼らはその服に着替えて仕事をしたり遊びに行く。

日本

16日は「藪入り」と言って奉公人を休ませ、主人は新しい衣類一式を配って小遣いも与え、実家に帰らせたり遊びに行かせる。

 

⒁踊り

南インド

16日には女性100人くらいが輪になって歌い踊る。

日本

16日には女性が輪になって踊る。700年頃には男女一緒だったのが別々となり14日、16日に分けて踊ったらしい。のちに男性の踊りは途絶えた。

 

⒂牛馬への祭

南インド日本

家畜の多産を祈ってご馳走を与える。

 

このように共通項は驚くほどに多いのですが、その中でも特に豊作儀礼が共通していることは、穀物、米の起源が同一であることを示す参考になるのではないか、と大野氏は述べています。言語から見てもコメ、アハ、ハタケ、タンボ、モチ、ヌカなど農耕の基礎となる言葉が共通であることは、日本に最初にこれらの文化が入ってきた時に言葉とともに伝わったとみていいのでは思います。

 

最後に出雲の伝承から少し。

ヤマト葛城の高鴨神社の近くに葛城御歳神社があり、ここは正月祭りの神さま、歳神さまが社の名前になっていて、高照姫が祭られています(高照姫はホアカリ(徐福)の后です)。高照姫の御魂は出雲に里帰りして、出雲大社の裏手へ鎮座しました。大穴持御子おおなもちみこ神社といいますが、通称は御歳社みとしのやしろというそうです。お正月には参拝客で賑わうとか。ということは歳神さまとは高照姫なのでしょうか。

【2019年9月追記】富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」によると、高照姫の息子、五十猛は歳神の信者となり、成人すると大年彦と名乗ったそうです。当時住んでいた出雲の大屋町には、 後に大年神社が建てられました。

お正月の飾り物はすべて、歳神さまをお迎えしお祀りするために供えているといいます。歳神さまは元旦の日の出とともに現れるともいわれます(太陽神)。そしてその年の幸福、幸運を運んできてくれます。豊作の守り神であり祖霊でもあります。となると、幸の神の象徴として高照姫が祀られているように思えてきますね。なんだかとてもありがたい、あったかい気持ちになってきます。

今年も皆さまのもとへたくさんの幸いが届きますように。

 

★2018年1月5日改訂(写真追加)