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源流なび Sorafull

夫婦像と祈り

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天皇陛下の御退位が近づき、連日のように天皇皇后両陛下のご様子がテレビで報道されています。おふたりの寄り添うお姿を拝見するたびに、Sorafullの胸には道端に静かに佇む石造りの夫婦像が浮かびます。

上の写真は室町時代以降に信州や関東地方でたくさん作られた道の神、さいの神の夫婦神像です。なぜ道端に立っているかというと、村に悪いものが入らないようにと守ってくれているからです。

 

「幸さいの神」は今から3500年ほど前にインドから日本列島に渡来した出雲族の信仰です。信仰といっても、祖先神の集合体を尊び、子孫の幸いを守ってもらう素朴なものです。男女の縁を結び、夫婦円満と子孫繁栄へ導く神さま。クナト大神と幸姫命さいひめのみことと呼ばれました。のちのイザナギイザナミの原型にあたります。日本初の人格神ですね。

紀元前6世紀から700年続いた出雲王国が滅ぼされ(いわゆる神武東征)、のちの記紀に描かれた新しい神さまたちの登場とともに、縄文時代から続く幸の神は忘れられていきました。忘れられたとはいっても、お正月の習わしなど至る所にその名残はみられますので、もとの形、由来を忘れてしまったといったほうがいいかもしれません。

縄文信仰は夫婦が仲睦まじく、子宝に恵まれることを祖先神に願いました。当時の平均寿命は14歳と推定されているので、周産期~乳児死亡率の高さが伺われますし、種の存続に直結することでもありますから、その願いは当然でしょう。ですが現代においても、仲の良い夫婦の姿というものは本当に尊いものに思えます。愛する者同士が互いを尊重し合い、助け合い、長い人生を共に生き抜いていく姿に、私たちは感動を覚えるのかもしれません。今の両陛下のお姿には神々しさすら感じてしまいます。

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出雲王国時代には春と秋の2度、マツリゴトと呼ばれる大祭が開かれ、各地の豪族が集まりました。規則などを決める会議を主催する王と、祖先神を祀る后が司祭を務めます。いわゆるヒミコの時代にみられるヒメ・ヒコ制(政祭一致)の始まりです。古代は母系家族制だったので、男女は対等にそれぞれの役割を果たしていました。やがて男性に権力が集中するようになり、祭祀においても女性から男性へとバトンタッチしていったようです。なので現在、天皇のお仕事の最重要事項が実は祭祀であるというのは、ヒメ・ヒコ制が終わったことによる流れと思われます。

第二次大戦後はGHQによって祭祀は公務から外され、私たちの目に触れることはなくなりましたが、陛下は皇室の私的行事として、日々国民の安寧と幸せを祈って下さっています。このことは御退位を表明されて以降、ようやく取り上げられるようになりましたが、「祈り」によって国を導くというのは、古来より続くこの国の在り方です。陛下は特に古代の祭祀をそのまま継承することに力を尽くしてこられたそうです。その重要性に共感しつつ、お体の負担を思うと胸が詰まります。御退位されたあとにどうかお疲れがでないようにと、今多くの人々が願っていることと思います。

以前の記事で元日の祭祀について紹介しましたので、抜粋します。

 

『祈りの役目といえば日本の天皇と同じですね。天皇のお仕事は本来、祭祀ですから。最近になって天皇陛下の激務がニュースになりましたが、実際は公的なお仕事の他に私たちの目に触れないところで、日々国民のために祈りを捧げておられるのです。元日の早朝より行われる四方拝では「この世で起こる様々な困難、苦しみは、必ず我が身を通過してください。すべてこの身が引き受けます」と天地四方の神々へ祈られます。私たちが新年に互いの幸せを祈っている時に、陛下はすべての苦しみを引き受けると祈っておられます。それが形だけではないことは、御公務の内容を知れば感じられると思います。

民の苦しみを陛下のお体を通して清め祓って頂くというのは、あの大祓詔おおはらえのことばと重なりませんか。祓戸四神の連携によって、すべての地上の罪や穢れは川から海へと持ち運ばれ、それを沖で呑み込んだ神は海底から地底へと吹き払い、それらを地底で受け取った神はいずこへか持ち去って浄化し消滅させて下さる。一神教の神様は人の犯した罪を裁き、許すという上下の関係ですが、八百万の神々は人が生きている以上生み出される罪や穢れ、自然の猛威による苦しみを身をもって引き受けてくれる包容力を感じます。その神々と直接繋がっているとされるのが天皇なのでしょう。』~訂正のお知らせ&安曇磯良と五十猛⑴より~

 

誰かが自分の苦しみを思い、祈ってくれていると知ると、命を人生を大切にする勇気が芽生えます。災害の地で人々が両陛下の慰問によって涙する姿を目にするたびに、心から祈るという行為の重みを感じずにはいられませんでした。

これからの両陛下の過ごされるお時間が、どうか穏やかでありますように。心からの感謝とともにお祈りいたします。

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万葉歌の由来

さて、まもなく令和の時代を迎えますが、この「令和」の出典である万葉集も、インド由来という驚きの説があるんです。 

 

詳しくはこの過去記事を読んで頂ければと思います。

五七五七七という珍しい和歌の形式は、日本と南インドタミル語の古代詩にしか存在しないそうです。しかもその詩集の中で描かれた占いが、万葉集にも「夕占ゆふけ」として繰り返し出てくるんです。室町以降は辻占と呼ばれ、現代ではフォーチュンクッキーとして形を変えています。面白いですね。

出雲族が伝えた占いだとすれば、縄文時代から続く占いだったわけです。

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それと万葉集には恋の歌がたくさんありますが、当時の母系家族制を知らなければ、歌の意味がわからないようです。古代の庶民たちは現代のように夫の家に妻が入るのではなく、女性が実家を継ぐ形なので、男性は通い婚です。例えば月夜の明るい夜にしか通えないために、夫を待つ妻の切なさが月とともに歌われたりするわけです。他にも男性を選ぶのは女性なので、売れ残ることを悩むのは男性であるとか、さらには子ができなければ女性は離縁して若い男性と再婚するというのも日常的にあったようで、白髪になるまで添い遂げる夫婦は珍しいために、縁起ものとして高砂の翁と姥の話や人形が人気になったといいます。時代背景や当時の暮らしを知るというのは大切ですね。

令和をきっかけに万葉集が見直されているようです。Sorafullもこれから少しずつ学んでいきたいなと思っています。