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源流なび Sorafull

朱の国⑾十一面観音③長谷寺

 

 

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祟りの霊木と磐座信仰

徳上上人に造像された長谷寺の十一面観音は、実は伝説をもった霊木から造られています。詳細は省きますが、今昔物語などいくつかの書物に記されている有名な霊木です。

継体天皇の頃(6世紀初め)に大洪水があり、近江高島から琵琶湖に流出した樟の大木が、祟りを呼ぶと畏れられながら何十年も大津の湖上に漂い、やがて大和の当麻へ、そして初瀬川へと辿り着き、徳道上人の祈願によって十一面観音として姿を現しました。祟りの大木が200年の時を経て災禍を鎮めるに至る、これも悪神から善神への変化ですね。

さらに徳道上人に夢のお告げがあったので、北の峯の岩を掘り起こしてその上に観音像を安置しました。北の峯とは長谷寺奥の院といわれる滝蔵神社の鎮座する滝蔵山。地主神の宿る山から運ばれた磐座と、伝説をもった霊木から造られた観音像は、日本古来の自然信仰が土台にあるようです。異国からやってきた新しい宗教を、このような伝説を取り入れながら融合させていったのでしょう。

また長谷寺の十一面観音には他の宗派にはない特徴があります。右手に錫杖を持っているのです。磐座の上に立ち錫杖を持つタイプは長谷型観音と呼ばれます。

錫杖しゃくじょうはお地蔵さまの持ち物。十一面観音は通常お地蔵さまと並んで祀られ、陰陽和合の相ともいわれるそうなので、長谷寺ではそのふたつが合体しているのかもしれません。錫杖を持つ意味は、地蔵菩薩と同じく地上に降りて衆生を救済して行脚する姿と説明されています。古くからの山岳信仰を取り入れた修験者も錫杖を持っていますよね。

 

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ここで地蔵菩薩について考えてみたいと思います。

日本では道の神(幸の神)と習合し、路傍に多くの石像が置かれました。そのため仏教ではありますが、古くからの民間信仰の一面が強いようです。また子供の守り神でもあります。

仏教の解説によると、地獄における苦しみから救済し、人々の苦難を身代わりとなって受けて救う菩薩とされています。まるで「祓え」ですね。大陸から仏教がやってきて、死後は極楽浄土か地獄かという思想が広まった時、人々がすがったのはこれまでの信仰体系であるというのは、なんとも皮肉な気がします。

谷戸貞彦著「七福神と聖天さん」によると、信州に「サイノカミ地蔵」と呼ばれるものがあり、幸の神が祀られていた所に地蔵菩薩の像が建てられたそうです。外側は幸の神の鉾の形になっていますが、後にお地蔵さまだけの姿になったと鎌倉時代になって僧侶が仏教を広めようとした時に、幸の神信仰を利用したと谷戸氏はいわれます。

次にについてですが、古事記では黄泉の国から戻ったイザナギ大神が禊ぎ払いしようと杖を投げ捨てた時、杖から現れた神が衝立船戸神ツキタツフナトノカミ日本書紀では黄泉の国から追いかけてきたイザナミ大神のほうへ杖を投げ、「ここより入ってはならぬ」と結界を張りました。その杖が岐神フナトノカミ(塞神サエノカミです。また一書では岐神の元の名を来名戸クナトの祖神サエノカミというとあります。サエノカミとは幸の神です。クナトの祖神さまといえば出雲のクナト大神。

錫杖には頭部に輪っかが複数ついていて、振ると音が鳴ります。これによって猛禽など外敵から身を守ることもできるそう。一種の結界でしょうか。

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地蔵菩薩十一面観音と夫婦のようにペアで祀られることから、男女の仲を取り持つ陰陽神ともいわれます。それは子孫繁栄、五穀豊穣をも含み、国土の平安を叶える存在となります。

縄文信仰として広く長く崇敬されてきたクナト大神と幸姫命の夫婦神が、仏教の中にうまく浸透した姿にほかならないと思えてきます。

また、「①起源」の記事で書きましたが、聖天像がガネーシャと十一面観音の和合の姿であることも、深いところで幸の神信仰に繋がるのでしょう。

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美濃では十一面観音は本地垂迹説で白山比咩と同体でしたが、伊勢へいくと天照大神となります。白洲氏は上代斎宮がこもりくの泊瀬に籠って、神聖な資格を得て伊勢へ向かったことから発生したのではないかといわれます。三輪山から太陽の女神を伊勢へと遷座したのは初代斎宮ですので。

本地垂迹説‥‥日本の神々とは実は様々な仏様が化身として現れた姿であるとするもの。神仏習合のための理論。

十一面観音は荒神、荒御魂に始まります。以前、船木氏⑶の記事で天照大神の荒御魂とは、出雲登美家の代々の姫巫女たちを指すのではないかと書きました。物部東征後の混乱を鎮めるため、大胆にも出雲の祭祀に敵である物部の銅鏡を取り入れる決断をしたモモソ姫や、太陽の女神を三輪山から伊勢へ避難させた代々の姫巫女たち。伊勢内宮の荒祭宮や西宮の廣田神社に祀られている荒御魂とは彼女たちを指し、実は十一面観音の中にもその姿を投影しているのかもしれないと思うようになりました。

白洲氏の言葉です。

《 十一面観音はたしかに仏教の仏には違いないが、ある時は白山比咩、またある時は天照大神、場合によっては悪魔にも龍神にも、山川草木にまでも成りかねない。そういう意味では八百万の神々の再来、もしくは集約されたものと見ることも出来よう。》

日本古来の信仰に異国からやってきた仏教が合わさる時、十一面観音は大切な日本の女神たち、姫巫女たちを包み込んで、人々の祈りを受け止める存在となっていったといえるのかもしれません。